「新米は食べられない」

米の美味さは昼と夜の気温差に関係している。
この点から秋遅くに刈り入れをする米はおいしいことになるが、あまり遅くなると乾燥が難しいこと、台風や雨などに会いやすいことから、日本の米はつい最近までできるだけ早く収穫する傾向にあった。

米には早稲と言って8月後半から収穫できる品種と、晩稲言って10月に入ってしか収穫できない品種があり、早稲は各県でいろんな品種があるが、晩稲は「ササニシキ」などがそうだ。
この早稲と晩稲の中間に位置しているのが、「コシヒカリ」であり、この品種の特性は早稲の作りやすさとササニシキなどの晩稲米の食味の融合にあるが、同じコシヒカリでも遅く田植えをし、遅く収穫したものの方が食味がある。

また微量だが塩分にさらされた米は粘りがあるため、もちもち感を好む人は海岸沿いで収穫された米を求めるといいだろう。
コシヒカリと言えば新潟魚沼産の米が1番美味いとされているが、近い緯度で土がよければ富山県や石川県奥能登地方の米も同じほどの食味を持っている。
おいしい米ができる土は黒っぽい土の田んぼで、色が浅く黄土色の土の田んぼは美味い米ができず、平地より山間部の米が美味しい傾向にある。

無農薬有機栽培は基本的に雑草を取り除くのに膨大な費用がかかり、収量は半分以下になるので通常の米の3倍以上の価格になるが、極端に栄養分が少ない米は未成熟米になりやすく、近代農法による収穫期までに科学肥料や除草剤成分がすべて稲から排除された状態で収穫する形式の栽培方法との比較では、メリットや効果は無農薬有機栽培米の方が少ない。
赤米、黒米と言った古代米は基本的には「もち米」と同じだと思ったほうがよく、これは通常の炊飯器で炊いても芯が残って美味く炊けず、よしんば餅、おかゆにしてもオリジナルの白米には及ばない。

ちなみにこの古代米、蒸して白米と同じように食べると後で大変なことになる。
もち米並みの腹持ちの良さがあり、ご飯茶碗1杯でも通常の白米2膳分以上の満腹感があり、古文書で「おかゆをすすって・・・」と言う話をコシヒカリで考えるとヒモジイのだが、古代米だとそれで腹一杯になることが実感として理解できるだろう。

1975年ごろまで、農家がその年収穫した新米を食べるのは神前に供えた僅かな量だった。
ほとんどを農協に出荷し、自宅で消費する米は飢饉に備えて3年前の物を食べていたのである。
これは例え飢饉が2年続いても何とか食べていけるという農家の知恵で、こうした習慣があるところを見ると気象の変化は単年度のものが少なく、大方2年くらいは続くのが普通だったのかもしれないが、農家は籾(もみ)の状態で自家消費3年分を蓄え、その古くなった順に食べて行くのだ。

米は新米を炊いて10とすると、1年前の米は同じ量を炊いても水を吸って炊き上がりは12ほどになり、古くなるほど同じ量での炊き上がり量は増えていく。
農家は自分で作った新米がその年には食べられなかったのである。