「社長、もうどうにもなりません」
「どうしても社員をクビにしないといけないのか」社長と呼ばれた男はこの時病床にあり、寝たままこう答えたが、その目からは涙があふれ、頬を伝い、やがて枕に大きなシミとなって広がった。
「すまないな・・・・私がこんなもんだから君にも苦労をかけた・・」
「社長、私こそ何のお役にも立てませんでした、本当に申し訳ありません」
布団の横に正座し、両手を膝についてその寝ている男を社長と呼んだ男もまた涙をこぼした。
この光景を見ていたその寝ている男の妻は席を外すと奥の部屋へと行き、やがてなにやら書類らしきものを持って戻ってきた。「これで金を作ってもう暫く様子を見ましょう、社員の首を切るのはそれからでも遅くはないでしょう」
その妻が差し出したものは妻の実家の権利書だった。
誰の話だと思うだろうか、そう熱烈なファンなら恐らく知っているだろう経営の神様、松下幸之助(故人)その人の話である。
せっかく開発した二股ソケットが売れず、会社の経営は悪化、ついに社員を整理しなければ立ち行かなくなったが、もともと体が弱く、こうした重大な場面でも寝込まなければならなかった松下幸之助は、社員を家族のように思っていたと言う。
この話を聞いた社員達は、掃除のおばさんに至るまで必死で、この二股ソケットを持って売りに行くのである。
やがてその甲斐あってこの二股ソケットは大流行していった。
そして時代は高度経済成長時代を向かえ、松下電器産業は飛躍的発展を遂げ、世界に冠たる電気メーカーになるのだ。
松下は若い(と言っても50歳くらいだが)頃取材に対してこんなことを話していた。
「私は良い物、便利な物をたくさんつくり、世の中を物であふれさせたい」
物の無かった時代を生きた松下ならではの夢だった。
この松下電器産業も2008年12月からパナソニックに社名が変更され、松下が生きていた頃から見ると明確に国際市場を意識したものになった。
加えて、最近の経営者と言うものも松下や本田の創業者、本田宗一郎(故人)達から比べると随分スマートになった。
元経団連会長、キャノンの御手洗会長は子会社で期間従業員を大量解雇しても「子会社の事は本社が関知してない」と逃げ、政府から税金の多額還付を受けているトヨタでも「家族にやさしい・・・車」とコマーシャルしながら、こちらも期間社員の大量解雇であり、期間社員の家族には鬼のような有り様である。
全てはアメリカのサブプライムローンに端を発した100年に1度の大恐慌のおかげだったが、小泉首相と竹中平蔵氏のコンビがしきりに唱えた、自由主義経済の見本だったアメリカ経済がこの体たらくだった訳だ。
その後もこうした重大な事態だったにもかかわらず「この程度は蜂に刺されたくらいのもの」と事態を軽く見ていた間抜けが当時の麻生内閣時の大臣だった。
そして同年12月の期間従業員の大量解雇、就職内定者の全員不採用である。
国内で翌年5月までに職を失ったものは50万人に達し、国内景気もそのまま下がり続け、大不況となって行った。
現代の会社経営は経営者と社員が別次元に生きている。
経営者としたら、必要な時に人材を使い、必要ないときは躊躇なく切ってしまうのは大変合理的でセンスが良く、こうしたことが出来るためには社員と距離を置いていなければならない。
方や従業員にしても「自分は金の為に働いているのであって・・・」と言うことになる。
双方ともクールでスタイリッシュだが、どちらもあらかじめ責任を回避しやすいように、逃げ腰で付き合っているカップルのように見えるのは私だけだろうか。
この記事は2008年に本ブログとは別の媒体に寄稿したものを時系列修正したものだが、当時の私は以下の言葉で末文を締めくくっていた。
何か松下幸之助や本田宗一郎が懐かしく、その頃社長を囲んで笑っていた従業員達の顔が懐かしい。 |