「統帥権」・2

またこうしたことを考えると、日本の統帥権もその実態は韓国に近いものがあるのではないか、すなわち日米同盟により背後に存在するアメリカ軍と、日本の自衛隊ではその思想、スケールで同等の性質のものではないことが明白であり、日本の国防の実権は事実上アメリカ軍にあるとも言えるのではないか、さらに核兵器による抑止力、いわゆる「核の傘」なる存在が出現してくる場合は、そもそも日本が当時国でありながら発言できない部分も発生してきかねない。

統帥権、自国軍隊を動かすことのできる権限、これは言い返せば主権国家がその主権国家たる最大の要件とも言える権利である。
だがしかし、少なくともこの東アジアでは、実態として韓国と日本の統帥権は権限をその主権国家が持っていながら、事実上の運用はアメリカが行うと言うような、太平洋戦争以前の仕組みと似たシステムが働いていて、しかもその運用者は主権国家以外の国家が担っていると言う、まことに異例な状態とも言えるのではないだろうか。

このように統帥権はその国家の根幹にかかわる問題なのだが、その実こうした権限や主権国家と言う概念は、その当事国が主張すれば何か形として確定するようなものではない、むしろ統帥権や主権国家の概念は綺麗な白い紙ではなく、世界情勢の中で遠目には白に見えるが、近くで見るとグレーの紙のようなもので、しかもそのグレーは各国によって濃度が違う、そんなもののように思え、また国家そのものも何か確定的なように思うかもしれないが、その実態は世界情勢と言う様々な要素の中でしか成立し得ない不確定な状態、つまり相互に認め合っていることで成立しているに過ぎないもののようにも見えてしまう。

1980年代まで続いたアメリカとソビエトの対立、いわゆる東西冷戦構造だが、このときは世界各国の統帥権は大まかに2つに集積され、この2つの統帥権がいがみ合っている状態で、こうした状態、統帥権が集まって管理されている状態は比較的統帥権の乱動が少なかった。
しかしその後ソビエトが崩壊し、アメリカ一国ではこうした統帥権の管理やそれに対する干渉能力に限界が現れ、各国の統帥権は緩い縛りから開放された形となった。

その結果どうなったかと言うと、各地に民族運動や内戦が続発し、大きな対立から開放されたと喜んだのも束の間、世界は瞬く間にあちこちで煙を上げる状態となった。
すなわち統帥権が大きくかたまった状態から、細かくなって行った瞬間、その統帥権はさらに細分化され、同じ国内でも割れて行ったのであり、またそうした統帥権のかけらは同じ国の同じ民族にすら向かって行った。
こうしたことから思うことは、統帥権と言うものは細かくなればなるほど不安定になり、そしてより細かい統帥権は、既に国家や平和と言った、例えみせかけでも持っていたその根拠となるものをも失い、より個人的な感情に近づいて行くような・・・、そんな気がするのである。

さて、話は変って家の統帥権だが、ただいま台所でホットミルクを飲んでいるかも知れない・・・。

※ この記事は2009年に執筆されたものを再掲載しています。