「静寂の悲鳴」

夜の闇には独特の艶かしさがあるものだ、そう水より流動性の低い湿度が、体の外側すべてを覆い尽くしているような、それは危険で力のある存在が自身を取り囲み、その狂気に引き入れようとするような、また二度と再び這い上がることのできない奈落へ誘われているような、そんな感じがして怖い・・・。

こうした冬の季節、突然停電することは珍しいことではない。
何せこの積雪でこの気温だ、昼間降った水気の多い雪は、夜になって気温が下がるとその重量を増し、ついに巨大な杉の木が耐え切れずその枝を折る。
そしてそれは下を通っている電線などいとも簡単に切断し、その結果この村は一切が暗闇に閉ざされ、あたりの静寂さとあいまって、まるで死んだようになって行くが、やがて無粋にもそうした闇の中に懐中電灯の直線的な光があちこちから現れ、村はまるで空襲を受けている町のように緊張感に包まれていく。

私は冬に限らず、部屋の隅に一本の蝋燭と半分に割れた小さい皿を置いてあるが、早速それを探し出しライターで火を付けると、一滴二滴その解けた蝋燭を皿に垂らしてそこに蝋燭を据え、急場の燭(しょく)を作る。
ああ、光とは何とあり難いものだろう。
さっきまでの不安や、少しの狂気は蝋燭の光が届く範囲に措いて一切が払拭され、まるで暖かな場をそこに切り開いてくれたような思いにさせてくれる。

ゆらゆら揺れる蝋燭の光は暗闇との相性がなかなか良い、これで電気が来ていれば音楽でもかけてコーヒーの一つも飲みたくなる気分だが、惜しむらくはこの状況ではすべての家電製品は使えない。
やがて長女が階下から声をかけてきたが、私は大丈夫だし、他の家族にも慌てないように伝えると、「分かった」とだけ答えて去って行った。
田舎に住んでいれば停電ぐらいは良くあることで、みな慣れているからこうしたものだ。

よしんばこれで数日電気が来なくても、私や家族が困るのはパソコンが使えないことぐらいだ。
ご飯を炊くのはプロパンガスだし、冷蔵庫もこの気温だ、動いていても止まっていても何も変わる事は無い、暖房も石油ストーブだが、いざとなれば囲炉裏だって使えない訳でもない。
だからこうして考えてみるとオール電化と言うシステムは田舎にはそぐわないシステムだな・・・、などと思う。
良く休日になれば電話がかかってきて、ああ言えばこう言うのしつこいオール電化勧誘があるが、彼らはこうした実態を知る由も無いのだろうな・・・。

静かだ本当に静かで、まるで蝋燭が燃える音が聞こえるようだが、そうした中に突然「カラッ」とか「カシーン」と言う音が混じったような音が、向かいの山から聞こえてくる。
静寂の中でまるでそれは竹を叩いた時のような音だが、これが木が裂ける音だ。
大きな枝が雪の重みで折れるときは、その木自身が裂けるときがあり、そうしたときにはまるで乾いた、意外な音がして木が裂けて行き、それは暫く時間を置いてあっちでもこっちでも鳴り響いてくる。
おそらく私よりも長く生きているだろうその木はこれで終わりになるが、その最後の音にしては余りにも湿度の無い、まるでこだわりの無い音で、そのことが逆に大きな悲しみとなり、無慈悲な天の在り様にしばし口を開けたまま立ちすくむ・・・。

いつのことだったか詳しい日時は忘れてしまったが、私はある日近くで開かれた木工作家の作品展を観に行ったことがあり、そこでは若い作家やその卵たちが、まことにお洒落な空間を演出し、ディスカッションまで行っていたが、私にはどうもこの作家たちから何かを作っていると言う印象が感じられなかった。
確かに言葉は巧みで、それらしい木の話や仕事の大変さも話していたが、何かが軽薄で、その作られた作品からはこちらに伝わるものが無かった。

そして彼らは木に対するいろんな話を始めたが、ちょうど私が座っていた少し前に、こうした空間には余りにも場違いな初老の男性が座っていて、彼は作家たちの話を聞きながら、その被っているヤンマーの帽子を時々取って、薄くなった頭を手で激しくかきむしっていたが、どうやらその感じからして、この男性は大きなストレスからそうしたことをしているように見受けられた。
そしてやがて作家たちの解説が終わり、今度は鑑賞者たちの作家への質問コーナーへと移り変わって行ったが、こうした時の質問と言うのも、いかにもお洒落で、仕事が大変ですか・・・のような質問が多かったが、やおらさっきの初老の男性が一度口を開いた瞬間、場内は言葉を失った。

「わしゃ、木で飯を食って50年や、それで木の物の作品展や言うから観に来たが、お前ら嘘つきや、そして作品も何もよーない、正直がっかりや・・・」
「お前ら、木を切ったことも無いだろう・・・」
男性は更に言葉を続けようとしたが、ここで慌てたのは作家たちだった。
いそいそと奥へ引っ込んでしまうと、司会役の若い女性作家の卵が、「これで質問時間を終わります」と言ってアッと言う間にその場をたたんでしまったのである。

そして瞬く間に周囲に人がいなくなり、その会場には私とその男性が取り残されたが、男性はやれやれと言う感じでまたヤンマーの帽子を被りなおし、そして立ち上がった。
そこで私は男性に近づき、「よう言うてくれました。私も同じことを思っていました」と言うと、男性は嬉しそうな顔になり、「そうか、あんたもそう思うてくれたか」と私の肩を何度もたたいたのだった・・・。

あの男性は今頃どうしているだろうか・・・、そして木で物を作っている人はこうしたことを知っているだろうか、温かい木のぬくもりと言う言葉は平易に使われるが、実は木はこんなにも悲しい音を立てて倒れていく、それを知っているからこそ、分かったようなもの言いは腹が立つ・・・。

私はこうして冬になって木が裂ける音がするたび、くだんの男性のことを思い出す。
そして作業服姿でヤンマーの帽子を被って作品展を観にきた男性の失望感が、今はあのころよりもっと明確に、分かるようになってきたように思う。

さてどうやら停電も終わったようだ、室内にはまた明るい蛍光灯の明かりが戻ってきた。
蝋燭の火は消して、また明日も頑張ろうか・・・。

※ この記事は2009年に執筆されたものを再掲載しています。