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1998 3 10 撮影 科学の発展に最も寄与するのは「戦争」だと言われる。 だがこうして核爆弾の歴史を鑑みるに、核は使われた側のみ被害者が存在している訳ではない。 アメリカととソビエト連邦が激しく水面下で激突した東西冷戦時代、その初期段階にして最も対立が激しかった1950年代、核戦争演習目的で核実験に駆りだれたアメリカ軍兵士、及びこれと同じ事をしていたソビエトの演習参加兵士、またその実験場や軍事施設周辺の住民たちの、実験による放射能被爆実態は、現在に至ってもアメリカ、ロシアとも正確に公表していない。 1993年12月、アメリカエネルギー省は、核兵器開発の初期段階である1940年代から1950年代にかけて、核兵器開発の一環として、放射性物質の遺伝における影響を調べるため、妊婦にプルトニウムの体内注入や、放射性の鉄を含む薬の投与などを行っていたと、政府による「核の人体実験」の存在事実を正式に認めた。 また1948年から1952年にかけて、ユタ州などでは旧ソビエトの核実験を探知する技術開発の為に、意図的に放射能を空中散布していたが、こうしたことは勿論軍事秘密で、住民たちには知らせるはずもなく、そのおぼろげな実態すら分かって来るのは20年、30年後のことなのである。 そしてこちらはソビエト連邦(ほぼ現在のロシア)、既にソビエトは崩壊していたため、ロシア政府によって1993年に発見された旧ソビエト軍の記録映画には、1954年9月にウラル山脈で原子爆弾を空中爆発させ、45000人の兵士と6200人の民間人を意図的に被爆させて、その人体的影響を調査したことが映像として残っていた。 また1940年から1950年にかけて、20回以上も大気圏内核実験が行われた太平洋ビキニ環礁では、1990年代に措いてもまだ島民の帰島が許されていなかったし、フランスの核実験場であるフランス領ポリネシアや、中国の実験場である新疆ウイグル自治区、こうした地域での核被害の実情は、今日に至ってまで不明な部分が殆どである。 加えて現在核兵器を保有している国は、国連の常任理事各国とインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮、そしてもう暫くすればイランも核兵器を所有するかも知れないが、これだけ拡散して来てしまっている。 現在世界における核被害者の数は、核実験や原子力発電所事故、その他の実験の影響などで、推測だが2000万人を超えていると思われているが、これでも1990年代の推測よりは1000万人少ないのは、被害者の逐年死亡があっての減少である。 また表に出ない核被爆者が攻撃を被る国ではなく、攻撃する側の国にも存在してしまうことを考えると、一時期アメリカやソビエトは本当に「神」の立場だったことをうかがい知ることが出来るが、その中枢にいた政府要人、国家代表はこうした重圧に良く耐えられたものである。 |