|
1989 5 3 old passion 天満大自在天神菅原道真、通称菅公(かんこう)または菅丞相(かんじょうしょう)はこうして死後50年と経たないうちに神として祀られることになったが、天神とはもともと「天神地祇」(てんじんちぎ)と言って、地祇(ちぎ)つまり地の神をさす言葉であり、むかしは雷や稲妻は天神の仕業と考えられていて、現在でも気象の神として天神を祀っているところもあるくらいだ。 例えば雷を祀っている地域が山陰地方や九州の南に存在しているし、そうした地域の天神さまは農民が天候が順調であることを願い、農作の進行の無事を祈っている、また菅公より以前の京都北野天神には、遣唐使が出発を前にしてその航海の安全を祈願し、奉幣したとされている。 ではなぜ菅公は天神になったのか、その理由はこうだ・・・。 つまり雷で貴族が死んで行った事が、菅公をして天神だったのではないかと言う話に繋がって行った訳である。 そして菅公が学問の神としてのイメージを定着させていったのは、室町時代からの事だと思われるが、京都の禅寺東福寺の開祖聖一国師(しょういつこくし)が、宋から帰国して大宰府にいたとき、菅公が安楽寺にある墓から抜け出してきて、禅を教えて欲しいと言った。 だから当時「渡唐天神像」(ととうてんじんぞう)と言う、唐代風の菅公肖像画があちこちで描かれ、これによっても天神さまは全国に普及していくことになったが、この頃の禅僧は漢詩漢文至上主義だったことから、日本でその道の大家とも言える菅公が禅に帰依したとなると、禅僧たちにとっては随分な宣伝効果と、格調を手に入れることになっただろう。 また菅原道真公と言えば、子供とのえにしも深いとされているが、その背景には既に11歳の時から才覚を表していた菅公にあやかろうとする子供や親たちの願いがあった。 |