「魚と車」

歴史と言うものは面白いものだ。
僅か20年、30年を見ていてもその時々に応じて似たような場面が出てきて、そしてまた似たような結果になって行くことがある。
今のアメリカと日本を見ていると1980年代の日米関係に本当に良く似ている。
1983年、過去最大の不景気から脱した日本経済は、1987年2月のルーブル合意以降、日銀が行った超低金利政策で爆発的な発展を見せる。
言わばバブル経済が紅蓮の炎を上げて燃え上がったのだが、この呷りを食ったのはアメリカ経済だった。

 

低燃費で小型コンパクトな日本の自動車は、1980年代に入ってアメリカ市場で瞬く間に市場を独占、それまでのアメリカ経済の主力だった自動車産業は壊滅的な打撃を受け、アメリカは底なし沼のような不景気に見舞われるが、こうした中で起こってきたのは日本車の排斥運動である。
日本の国旗が燃やされ、ホンダやトヨタの車に火が付けられ、その周りでアメリカ人たちは気勢を上げた。
「日本は出て行け!」「職場を返せ!」
こうしたプラカードを掲げたデモがあちこちで行われた。

 

いわゆる「ジャパン・バッシング」はこうして始まったのだが、実際にはこの傾向の口火を切ったのは、意外にも自動車とは余り関係の無い鯨の商業捕鯨反対運動からだった。
環境問題が騒がれ始めたこの時期、アメリカの環境保護団体は、日本の商業捕鯨に対する闘争をその主眼として活動をはじめ、こうした動向にオーストラリアが同調、これに日本に対して大きな不満を持っていたアメリカ自動車産業界や、不振だった農産業界が加わり、大きな日本叩きが始まったのである。

 

また優秀なメイドイン・ジャパンにその市場を奪われていたのは何もアメリカだけではない。
ヨーロッパ、中国、オーストラリアなども重要な市場だったアメリカ市場を日本に取られ、当時日本とイスラエルさえ地球に存在しなければ、世界は平和に暮らせるとまで言われていたのである。
日本を叩きたかったのはアメリカだけではなく、そうした意味では日本はこの時期経済で世界を相手に戦争をして、全戦全勝の状態にあったのである。

 

だがアメリカもヨーロッパも、基本的には自由主義経済を標榜していて、こうしたことを捻じ曲げて保護主義に走ることは自国にとっても後で不都合が起こる、そこでたまたま少しだけ日本叩きの小さな突起になっていた商業捕鯨禁止運動に全世界が、とりわけアメリカが大きく加担し、それが日本の自動車や精密機会の排斥運動に繋がったのである。
そしてここで重要なのは、こうした運動が民間から始まった形態を取っていたことである。

 

幾ら日本憎しとは言っても、政府が旗上げして保護貿易を行ったのでは、そこはやはり自由の国アメリカ、流石に少なからず抵抗があることから、民間から始まったことなのでこれは合衆国国民の声だと言う、形を整えてからガヴァメントは日本叩きを行っている。
「止めろ、それはいかんことだぞ」と言いながらデモは止めない、日本国旗を燃やしていても、警官はそれを止めずに見ているだけだった。

 

その上でどうなったかと言うと、結局日本は日本の自動車産業可愛さに、商業捕鯨禁止条項では譲歩を強いられ、ついでにスーパー301条がアメリカ議会を通過、アメリカは日本をターゲットにした部分的保護主義政策に転じたのであり、これにより日本は自動車の輸入基準では大幅な緩和をしなけらばならなくなり、また農産物でもかんきつ類や牛肉の輸入基準を大幅に引き下げざるを得なくなった。

 

だが当初農産物では大幅な貿易不均衡があるとされていた牛肉や柑橘果物、これらは農産物全体では均衡が取れていたのだが、アメリカは牛肉と柑橘類だけで他の事実を隠し、日本に譲歩を迫っていたのであり、その結果がどうなったかと言うと、確かに日本市場は開放された形にはなったが、相対的にアメリカ以外の、例えば中国やオーストラリアの農産物も日本市場へ参入したのであり、自動車などもアメリカ車だけが日本市場へ入って来たかと言うと、どちらかと言えばヨーロッパ車が日本市場を席捲した形で、こうした一連のアメリカによる日本たたきによる、アメリカの経済効果はそんなに大きな成果を上げたわけではなかった。

 

またこのような日本叩きは、当然といえば当然だが日米同盟にも同じようなことが起こってくる。
日本の経済は油で支えられている、そして日本が安全に油を運べるのは、アメリカが守ってやっているからではないのか、こうした考えが巻き起こり、ここでも日本は自動車輸出を人質に取られ、アメリカ駐留軍の経費負担、いわゆる思いやり予算を一桁ずつ増やして行ったのであり、1978年には62億円だったものが、1990年には1680億円、そして1995年には何と2714億円が「気持ち」として支出されているが、これは今では少しは減ったと言うものの、2008年で2000億円を超える額が国家予算から支出されているのである。
更にはこうした思いやり予算、実は西ドイツにもイタリアにも似たようなものが存在し、東ドイツもソビエトにこうした予算を付けていたことを考えると、思いやりは日本の考え方で、その実態は戦後賠償的な概念でアメリカが考えていた可能性すら否定できないところだろう。

 

どうだろうか、今のトヨタ自動車のリコール問題が、社長をアメリカ議会の公聴会に呼ぶほどの大きな問題か、おそらくこんなケースは国際的にも初めての例ではないだろうか。
またこうした同じ時期に問題化する捕鯨禁止運動の活性化、それにマグロ問題、以前民主党の大統領だったビル・クリントンもジャパン・バッシングの急先鋒だったが、やはり伝統的にアメリカに民主党の大統領が立つときは、ジャパン・バッシングが起こり易いと見るべきだろうし、似たような世界的状況では、アメリカ国民が民主党の候補を大統領に選ぶ傾向があると言うことかもしれない。

 

そして今回のジャパン・バッシングは原因がはっきりしている。
日米同盟におけるアメリカ軍普天間基地を巡る、日本政府の対応のまずさであり、小沢幹事長の中国大訪問団である。
同盟の約束事項は、ある種の外交条約より重いものがあり、これが履行できないとなると、同盟そのものに及ぶ問題であり、また経済的に落ち込んだアメリカはもう過去の国だ、これからは中国だ、そう言わんばかりの小沢幹事長の大訪問団を引き連れた中国訪問は、アメリカのプライドを正面から傷つけた。

 

アメリカは本当は自動車で怒っているのではなく、この2点で日本を不満に思っていて、それがトヨタ自動車リコール問題になっていると考える方が、おそらく正しいだろう。

 

それにしても自動車問題が起こるときは、同じ時期に鯨や魚の問題も起こる、これは少し頭に入れておくと良いかもしれない。
本文は2010年に執筆されたものを再掲載しています。