| 今の季節とは相対するが冬が始まる頃の季節、毎年大きな雷と共にヒョウが降り始め、大嵐になるが、それが終わると1,2日はいい天気になる。
気象用語で言う3寒4温の裏返しみたいな天気だが、こうした嵐の後のいい天気にはよく見ると空中を細い蜘蛛の糸が何本も漂っている。 何と細い蜘蛛の糸の先や真ん中に小さな子どもの蜘蛛が乗っているのである。 かなり以前の事だが、少し離れた所に住んでいる友人から電話があって、ゴボウのケーキがとてもまずくて食べられなかったとしきりにぼやくので、よく話しを聞いて見ると、何でも地域興しで、大学生と地域住民が連携してゴボウをその地域の特産品にすることで行政から補助金を貰って、新商品を開発してたらしいが、その試作品はゴボウのケーキだったらしく、その試食会に招かれて参加していたら、隣に座った人が「あなたに半分あげます」と言って自分にそのケーキをくれた。 田舎ではありがちな話ではあるが、他にもいろいろある。 でもどうしてこんなことが分からないのだろうか、野菜は野菜で食べた方が美味しいし、クッキーはやはり卵と小麦粉の方が美味しいに決まっている。 これには何か大学に対する政府の助成制度に問題があるように思えてならない。 高齢者は若い人が来て話しを聞いてくれるのが嬉しくて全面的に賛成し、それで現実性の無いはかない夢と、親から学費を出してもらっている経済的責任のない学生の夢が一致、それで地域はイベントをしなければならなくなり、働いて税金を納めて、子どもを養っている一番忙しい時期の人達に地域興しと言う実際の負担が押し寄せてくるわけで、こうした回転が地域をさらに疲弊させていることを皆理解していない。 また、都会からこうした田舎へ移り住んでくる人と言うのは、取り合えず現役を引退した人か、若ければ都会生活に適合できなかった人が多く、それでも田舎では進んだ人と思われ地域興しのリーダー的存在に祀り上げられてしまうが、都会でしっかりビジネスとして、日々を戦っている人にかかれば到底勝ち目が無いことも理解しておくべきだと思う。 どこかで見たような映画のセットのような町並みに人通りは無く、ひどく場違いなカラー舗装、必死に都会への発信を唱える地域コンサルタントと言う何が仕事の人か分からない人の話は「・・・が重要な問題である」で終わり、長い時間公演を聞きながら最後はただの問題提起なのである。 人はなぜ滅ぶことを恐れるのだろう。 私は自分が住んでいるこの町が嫌いだ。でも近所のお婆ちゃんや、爺ちゃん、これらの人達によって曲がりなりにも何とか人にして貰ったから、また都会で何か大変なことが起こった時自分の親族が帰ってこれるための保険と思ってここで暮らしている。 かなり前になるがフランス人の自称数学者の友人が私にこんな話をしてくれた事があった。 この言葉は私にとって嬉しい言葉だった。 |