1999年、中国南部の病院。
風邪の症状を訴えてきた少年、なぜか抗生物質が効かない。
これに対して流行性のインフルエンザを疑った医師は血液を採取、それを検査機関へ送った。
だがその結果を知らされた医師は思わず検査データを落としそうになった。
通常インフルエンザウィルスはA.B.Cの3種に分かれ、A型は世界的流行の原因となり、B型はその流行が小さく、C型は地域に散発的な流行形態がある。
またこの内A型には血球凝集素(ヘムアグルチニン)Hとノイラミニターゼ(N)の抗原性の違いにより、16のHと9のNが存在し、これが組み合わさって出来る144種の亜種ウィルスが考えられているが、これは1995年、未知のA型ウィルスとして記録されていたH5N1型ウィルスだったのである。
医師は慌てて上部研究機関へ報告書をかいて、少年を隔離しようとしたが、上層部はなぜかこれを無視し、やがて少年は死亡した。
2003年、ベトナムでは鶏が大量死する事件が発生、同じ年には中国の一部でも鶏が死んでしまう事件が起こってくる。
この時はまだ、WHO(世界保健機構)が人への感染を認めていなかった時期だが、既にベトナムでは3名、中国でも1名の死者が出ていた事は後になって判明するのである。
翌年この鶏の大量死はアジアで猛威をふるい、タイで17人、ベトナムでは29人がこのウィルス感染により死亡が確定し、ここに至ってWHOはH5NI型ウィルスを人へ感染する危険性のある流行性感染症と発表するのである。
だが、この年、中国では空を飛んでいる渡り鳥が一度に1万羽以上雨のように死んで降ってくる事件が発生、翌年になってこうした鶏の大量死は日本、韓国にまで波及し、2006年には世界でH5N1型ウィルスでの死者は61名にものぼった。
もともと鳥インフルエンザは1900年前半に最初セルビアで特定されていたものだが、症状のないまま野鳥などに存在し、豚、クジラ、馬、犬や人間など殆どの動物に感染する可能性がある。
感染経路は空気感染、食物感染、水、設備や衣服などからでも感染するが、食肉調理で過熱されたものからは感染しない。
だがここで言っておきたいのは、このウィルスが最初に発見されたのは人からだったことであり、鳥のインフルエンザはA型しか存在しないことから、H5N1は初期人から鳥へと感染した可能性があることだ。
つまり人、鳥、人の順で壁を越えた感染力を既に確定している危険性があり、人から人への感染力ももう保有していると考えられるのだ。
こうしたウィルスは連続変異と一緒に不連続異変を起こし、異常な耐性を獲得していく、連続異変でも大変なのに、不連続異変ともなると、あらゆる角度から奇形種が発生し、その奇形種の中から新しいウィルスが発生するのでワクチンは間に合わない。
1918年に最大5000万人が死んだとされるスペイン風邪のようなパンデミック(世界的流行)を引き起こす可能性は極めて高い。
ちなみにWHOの統計による鳥インフルエンザの人への感染者数は2003年から2006年までで、236人、その内死者数は138人となっている。
つまり感染した場合、死亡率は50%と言うコレラ並の死亡率があることを付け加えておこう。
またこのHとNの組み合わせによるウィルスの種類は現在確定しているものだけで、H1N1,H2N2,H3N2や、アメリカではH7型と言うウィルスも発見されている。
治療方法は、タミフルとリレンザの服用が有効とされているが、この仕組みはノイラミニターゼつまり(N)を阻害することで有効性を発揮する抗ウィルス剤だが、この服用により若年者が突然自殺したり、意味不明な行動を起したりと言う副作用に近い事例が報告されていることも忘れてはならないし、一部の報告では既にタミフルが効かないウィルス発生の報告も出ている。
アフリカで突如発生したエボラ出血症は高熱に侵され、最後は人体の穴から全て血液を放出し死亡する奇病だが、初期感染者の死亡率が80%を越えていたものが、少しずつ死亡率が下がって行き、最後は消滅した。
だがこの病気の発生原因、感染方法とも不明なら、何故突然消滅したかも不明なのである。
またA郡溶連菌(溶血性連鎖球菌)などは1時間の間に2.5センチずつ菌が人体の筋肉組織や脂肪組織を侵食することから、人食いバクテリアとも言われる症例だが、1985年アメリカで始めて報告された。
溶連菌など通常どこでもいる菌で、こんな力など無い弱い菌であるが、どうしてこうなるのか未だに解明されておらず、感染経路も不明、特に免疫力が劣っている訳でもない若い男性の症例もある。
私達人類は自分で生きているように思っているかも知れないけど、もしかしたら強大なものの情け、偶然に何とかなっているだけかも知れない・・・・。