「K氏の悲劇」

10年ほども前の話になるが・・・・。

K氏はある地方新聞社の記者だったが、3月にこのS市に配属されて3ヶ月、まだデスクに逆らえる年齢ではないが、それでもこんなニュースの少ない田舎で、何とか毎日記事を書いて総局へ送り、仕事をこなしていた。

ある日、このS市が鳴り物入りで多額の資金を投じて土地を造成し、そこに誘致した企業と市長の共同記者会見が市役所応接間で開かれることになり、K氏も張り切って出かけていったが、既に数社のテレビ局や他新聞社の関係者も集まっていて、それぞれ場所の確保でがやがやとしていた。
やがて応接室正面の机に、書類を持った企業関係者と思しき男性2名と市長、助役、企業誘致担当職員が座り、場内は少しずつ静かになり、そろそろ始まるかなと言う感じになった。

場内は一瞬シーンとなった。
そしてK氏が少しでも前で写真を撮ろうと、右足を出したところだった。
そこにはテレビ局カメラマンがバッグを置いていて、それを避けようとしたK氏の右足は思ったより前方に出てしまい、バランスを崩したK氏は思わず左手を壁についてしまった。
「ぱりっ」と言う渇いた音が静かなこの場内に響き渡った。
何とK氏の左手は壁にかかっていた大きな絵をしっかり破っていたのである。
全員の視線はK氏に集中し、その殆どが「何を馬鹿なことやってるんだ」と言う視線、K氏の顔は一瞬にして青くなって行くのが分かった。

K氏は一瞬我を失ったように呆然となったが、次の瞬間市長の様子を伺おうとしたのか、市長に顔を向けた。
市長は「これは、これは大変なことになった」と言うように、目を大きく見開き、手を口に当てていて、K氏はガクっと肩を落として顔を下に向けた。
それから何とか記者会見は終わり、他の報道機関関係者は皆帰っていったが、1人K氏だけは市長から別室へ呼ばれ、しょんぼりした様子で部屋の中へ消えていった。

この新聞社の前任は市側との癒着が噂され、滅多に市を批判する記事が無かったのだが、K市は若いと言うこともあり、割りと市側に批判的な記事も書いていた。
だが、どう言う訳かこの日を境にK氏の記事は前任者よりもさらに市側を称賛する記事へと変わり、その激変ぶりに記者仲間の中では、多分市長は笑って許してくれて、ついでに「これからよろしく・・・」とでも言ったんじゃないか、あの市長もタヌキだからな・・・と言う話が出回り、それを裏付けるように、あのK氏が破いた絵は修理された形跡もなく、いつの間にか撤去されていたのである。

してみると、もともと大きさはあったが、所詮趣味で絵を書いていた市民から寄贈されたもので、そんなに価値など無かったのだが、記者会見での市長あの驚きようは計算された行動だったのでは・・・などと、まことしやかに囁かれていた。

やがてK氏と一緒に酒を飲みに行ったある記者の口から、「S市は最低だ、早やく転勤したい」とK氏がぼやいていたと言う話が記者仲間へと伝わってきていた。
多分市長はそれまで市側に反抗的だったK氏に、「絵の修理は良いから、これから仲良くしてね」と言った事は間違いないだろう。
市長に借りの出来てしまったK氏がそれまでのように市を批判する記事が書けなくなったのは、恐らくそのためだと思う。

悲惨な話である。
人は怒られる時はやはり怒られた方がいいのだ、笑って許してくれた時は、その先にもっと恐ろしいことが待っているかも知れない・・・。
ちなみにK氏は以後も各支局記者を歴任し、今も元気で活躍しているとの事である。