毎年のことだが、春、田植えが終わった頃になると、必ずたくさんのツバメがやってくる。
ツバメと言うのは随分しつこい鳥で、私の仕事場の1階が車庫になっていて、その南側には窓があるのだが、毎年今年こそはツバメを入れないようにしようと考え、その窓を閉めたままにして置くのだが、そうすると2階仕事場の網戸の上に巣をかけようとする。
一度そうして頑張ったら、ついに網戸に巣をかけられ、その年は網戸を開けることができなくなってしまったことがあったので、それからはツバメの姿が見えるようになると、車庫の窓を少しだけ開けて置くようになった。
私の両親などはツバメは家に繁栄をもたらすとして大歓迎なのだが、実は糞の被害は絶大で、ツバメが入っている時期は車庫に車が入れられず外へ追い出されるし、猫よけの取り付けや、蛇からも守ってやらねばならず、ヒナが孵って成長し飛べるようになってもまだ巣に戻ってきている時は、へたに蛍光灯のスイッチさへ押せなくなる。
夜パッと明かりがつくとツバメたちはパニックを起こし、室内を飛び回った挙句どこか隙間にでも落ちたら、助けない限り死んでしまうからだ。
だから毎年黒くて早いあの姿を見かけるようになると、そうか・・・また来たかと言う嬉しさと、これから大変だな・・・と言う両方の思いにかられるのだ。
ツバメは言い伝えでは育った家を憶えていて、そこへ帰ってくると言われているが、実際のところみんな同じ顔にしか見えないので本当にそうかは分からないが、つがいでやってきて、何を喋っているのかは不明ながらも2匹で一生懸命相談しているような様子からことは始まっていく。
泥や草、昨年刈り取った稲藁のくずなどを集めて巣を作りはじめるが、この巣の大きさはその年生まれる卵の数によるとされていて、それではツバメは生まれてくるヒナの数を、生まれる前から知っていることになるが、こちらも後からヒナが多すぎて巣が落ちそうになるときがあるので、必ずしもそうだといい難い部分がある。
またツバメのテリトリー争いは熾烈で、こうして一番最初に入ったカップルは、あとから同じように車庫に入ってこようとするカップルをこれでもか、これでもかと言うくらいに攻撃、気の弱いカップルは追い出されるが、卵が生まれる頃まで頑張るとそれ以上の攻撃はしない。
毎年この車庫では3組のカップルが1回はヒナを出して、2組ほどが2回のヒナを出すから、大体1年で25羽以上のツバメがここから巣立っていき、それが少なくとも私が生まれる前から続いているのだろうから、既に膨大な数のツバメがこの家を故郷としていることになるが、先の話のように糞のことや、いつも窓を開けておかなければならないことなどから、最近ではツバメが入れる家も少なくなっている。
生き物と言うのは不思議なものだが、こうして最大の天敵である人間の近くで巣を作ったり、その近くを生存圏にしている者が多いが、ハチなどもそうで、私の仕事場は南に面して窓が大きいことから屋根の下に毎年ハチが巣をかけようとする。
年寄は、ハチは火事や地震があるところに巣をかけない、幸運の証だと言うのだが、1度それに従って巣が大きくなるのを黙ってみていたことがあったが、共存できたかと言えば微妙だった。
また部屋へ弱って動きが鈍くなっているハチが迷い込んできていたので、可愛そうに思って放っておいたら、半日ほどして忘れてしまっていて座布団の上のハチを触って刺されてしまったことがあった。
恩を仇で返された形だったが、1度は助けると決めながら、こんなことで殺してしまう訳には行かないと、律儀に考えた私は家族から笑われたが、その後私の手はドラエモンの手のようにまん丸に腫れて、これには子供までもが面白がった。
さてツバメだが、こうして巣を作ったら卵を産むが、ひとつの巣で生まれる卵の数は4つから7つ、平均で5個ぐらいか・・・、年寄り達は毎朝その巣の下で、まだヒナが孵らないか、などと思いながら眺めているが、ヒナが孵ると半分に割れた小さな卵の殻が巣の下に落ちている。
そしてこれからが戦争である。
とにかく喧しい、仕事をしていても小さな音だと音楽が聞こえないくらいに騒いでいるが、それでもこうして毎年だとツバメ言葉も何か「仲良くしよう」と言う言葉と「危ない」くらいは分かってきた。
そしてこの危険が迫っている鳴き方が聞こえると、私は2階から降りて様子を見にいくのだが、大方は外にいるカラスや猫に親鳥が警戒している場合が多く、こうした時の親鳥の姿勢は果敢で徹底攻撃である。
猫などには頭すれすれに飛んで威嚇するが、こうした威嚇に猫が頭を下げて歩いているのは何ともユーモラスでもある。
だが夜中にこの危険だと言う鳴き声が聞こえたら大変だ、この鳴き声はとても大きな鳴き声なのだが、びっくりして見に行ってみたら、親鳥が車庫に入り込んだ蛇に体を半分ほど呑み込まれていたことがあった。
慌てて蛇を捕まえツバメを引き出すのだが、助かった親鳥は吊るしてある止まり木で「やれやれ・・・ひどい目にあった」と言う様子でボーっとしていた。
そして蛇はやはりこれも「生業」でやっている訳だから、川の近くの土手まで持って行って放してやる。
ツバメの親鳥は1日中ヒナに餌を運んで育てるが、これは本当に雨の日も風の日も、嵐の日もだ、ヒナはじきに大きくなり、私たちが行くと始めはサッと巣に隠れるが、やがては身を乗り出して上から見ているようになり、小さな顔が幾つも並んでこちらを見ている姿はかわいらしいものだ。
車庫の窓は夕方暗くなって親鳥が帰ってくると閉められ、朝5時には開けられるのだが、この管理のうち夜は私が窓を閉めるが、朝は両親が窓を開けることになっていて、ある日の朝、ツバメの巣立ちは午前中から始まる。
親鳥がしきりに「大丈夫、飛べる、飛べる」と言っているようで、それに羽をばたつかせてヒナが合わせているが、見ている訳にも行かなくて仕事に戻ると、昼近くには静かになる。
行ってみるとあれだけ賑やかだった巣が、何もいなくなってしまっているのだが、たまにまだ飛べなくて迷っているヒナがいると、兄弟や親鳥たちがそれを必死に励ましていることがある。
おかしなものだ・・・親鳥はあれだけ大きさにバラ付きがあったヒナに、大体同じ日に巣立ちが出来るよう餌を与えていたのだ。
だがそう・・・年に1羽か2羽、こうして成長しても飛び立つことが出来ずに、みんなが飛び立って2日後もまだ巣から出られないヒナが出る。
兄弟や親鳥は心配そうにその様子を見に来ているが、やがてそのヒナは巣の下で死んでいる。
また卵から孵った直後、親鳥はなぜか1羽のヒナをはじき出すことがあるが、これは育っても多分飛ぶことの出来ないヒナを巣から落としていると言われていて、悲しいが何度人間が巣に戻しても必ずはじかれる。
これが自然に生きる者の厳しさか・・・。
私や両親はこうしたヒナたちを見つけると土に埋葬する。
ツバメは巣立ちが終わって1週間ほどは夜になると巣に戻ってくるが、それが過ぎると巣は完全にもぬけの空になる。
夏も終わりの暑い日、農作業で外に出ると、なぜか周りに黒い小さな鳥が集まってくる。
そうだ、今年巣から飛び立ったツバメの子供たち、まだ尾羽が少し短いが嬉しそうに私の周りを飛び、その数はどんどん増えてきて、頭や顔をかすめるように近づいてくる。
いつも階段を行き来していた私を憶えていて、多分グズな奴だが仲間だと思っているのだろう。
みんな眼前をこちらを見ながら飛んでいて、その顔は「どうした・・・早く一緒に飛ぼうぜ・・・」と誘っているよう・・・だ。
「ああ・・ありがとうよ・・・」
生きていることは素晴らしい、何と甘美なことよ・・・、なんと良きことよ・・・。
我が心はお前らと共に青き空にある・・・だが私は飛ぶことができないのだよ・・・。