暖かい春の日差しが窓から差し込み、2階階段の踊り場には、看護士が生けたのか名前は分からないが、赤と黄色の綺麗な花がそこだけ嬉しそうに輝いていた。
こんな場面ではどちらかと言うと良い天気は辛いものだが、それでも雨の日よりは少し気が紛れるだけ、ましなのだろう。
母の大腸にガンが見つかったのは本当に偶然だったが、足の関節手術のために行った検査で発見され、こうして手術すれば助かることは分かっていても、やはりガンと言う響きは何となく嫌なものがあり、この手術の日に心配して同行してくれた伯父夫婦と私、それに父は、手術室の斜め横に設けられた待合所の硬い長椅子に座り「大丈夫だ」とお互いを確かめるように時々頷いていた。
この日は母の手術の他にもう1組の家族がその待合所で待機している様子だったが、小学校3年生と5年生くらいの男のが2人、、その待合所に設置されているミニ図書コーナーを行ったり来たりして騒いでいたが、多分彼らのおじいちゃんに当たる人が手術を受けるのだろうか、この子たちの母親らしき女性と、手術を受ける人の兄弟夫婦、つまりこの子らにしたら大叔父夫婦に当たる人達が、やはり私たちと同じように手術が終わるのを待っていた。
別に聞こうと思った訳ではないが、黙って待っている私たちと比べて、この家族は何やら深刻な感じで、それは単に手術を案じると言うより、どうやらこの大叔父夫婦の大叔父が、嫁である女性をそれとなく説得しているような雰囲気があった。
その女性は、恐らく子供らの食事を作るために留守番している私の妻と同じくらいか・・・もう少し若いか・・と言った感じだったが、「何とか考え直すことはできないか・・・」と問いかける初老の男性に「もうだめです、もうどうにも・・・」と首を振って下を向くのだった。
可愛そうなのは子供たちだった、母親がそうして下を向くと、それまで元気で跳ね回っていたのが一瞬にして険しい顔つきになり、母親のそばへ心配そうに近づき、それで大叔父らしき男性は沈黙する、そうしたことが2度ほど繰り返されていたときだった。
階段を自分の母親らしき女性と上がってくる男性の姿があり、こちらも多分私と同じくらいの年齢と思えたが、周囲に烈火の如くの火焔が見えるほどの憤怒、あたり一面を怒りの場に塗り替えるような勢いで、待合所にたどり着くなり、そこにいる全ての人間を睨みつけ、文句があれば唯は置かんぞ!・・・と言う表情で威嚇した。
そしてその後を追うように上がってきた看護士長らしき女性に「お前では話にならん、事務長を呼べ!」と怒鳴りつけると、余りの怒りに座ることさえできないのか、その廊下を行ったり来たりしていたが、看護士長らしき女性がまた下へ降りていくと、今度は先ほどの女性の前に仁王立ちし、「何かまだ言うことがあるのか、おい!何とか言え」と怒鳴りつける。
慌てて大叔父の奥さんらしき女性が、本当に不安そうな顔になった子供達を連れて「下でジュースでも買ってこようね・・」と言って連れ出したが、この様子を見ていた大叔父らしき男性は「君のそんな態度が○○さん(憤怒男の妻の名前らしい)をここまで追い詰めたんじゃないか、いい加減にしたらどうだ」と言うと・・・憤怒男は「何だと、何も知らないくせに・・・」と言うなりこの大叔父らしき人の胸倉を掴んで今にも殴りかかりそうになった。
これで慌てたのは私と私の伯父で、急いで間に入り「落ち着け」と憤怒男を制止しようとしたが、そこへ警備員の男性がが横切ったかと思うと、この憤怒男の腕をねじ上げ、「いい加減にせんか!」とどやしつけ、これで戦意を喪失した憤怒男は仕方なく椅子に座り込んだのである。
「ふーやれやれ・・」と思ったが、それから後もこの憤怒男は横柄な態度でねちねちと妻らしき女性に文句を言い、挙句の果てには看護士長の代わりに上がってきた事務長に、「全ての医療代金の明細を出せ」といきまき・・・だった。
そして「それじゃ下で・・・」と言う事務長と2人また階下へ降りていったのだが、「○○さん、すまんな・・・」と女性に声をかけた大叔父らしき男性に対し、彼女は唯黙ってぽたぽた・・と涙をこぼしていた。
そしてほぼ入れ違いに大叔母と一緒にジュースを持って上がってきた子供達は、泣いている母親を心配したのか、2人ともその女性のところへ走りよっていった。
なんとむごいことだろう・・・母親に寄り添う子供たちの顔には確かにあの憤怒男の面影があった・・・そしてこの子達の母はこの女性なのだ・・・。
私には到底女性はつとまらない・・・
さすがにその場に居づらくなった私たち家族は少し離れたフロアに移動したが、伯母が一言「何もこんな所であんな話をしなくても・・・」そうポツリと呟いた。
やがて母の手術は終わり、どうにか成功だったらしく、先生が「経過を見なければ分かりませんが、多分再発は無いと思います」と言ってくれたのだった。 この日、いい天気だったのが嬉しかった。
病院と言うのは不思議な「場」だと思う。
命が懸かったギリギリの状態、人間が瀬戸際の状態で集まっている「場」は信じられない現実が展開されている、後日私が行けなくて妻が病院へ行ったとき、そのときも恐らく別の夫婦だと思うが、離婚を話し合っている場面に妻が遭遇しているのである。
あの夫婦に何があったかは分からない、いやそもそも夫婦、男女の仲など他人には預かり知らぬことだが、振り返れば我が面影を宿した子供・・・その顔をまじまじと見ると良いだろう、それが現実、それが全ての答えだ、そこを怒りで見えなくした者が歩む道は修羅の道となる・・・。