メリダ(スペイン)から少し山側に向かったところにあるこの酒場・・・と言うより昼間は食堂になっているのだが、大きな木の丸いテーブルが3つ、それに無理をすれば10人くらいが座れるだろうか、そう言うカウンターがあるこの店は、昼夜で様相が逆転する。
昼間と言っても殆ど夕方なのだが、この店を切り盛りしているのはオーナーの老夫婦で、薄い髪を後ろになで上げた主人が厨房に入り料理を作り、彫りの深い顔立ちの婦人がその料理を出してくれる・・・勿論酒は頼めばこれも出してくれるが、こうした夕方近くの時間でも既に酒が入り、ご機嫌になっている人がいるのもこの国の特徴だろうか・・・。
とにかく陽気なことを言えば、ここより東にあるナバエルモサとそんなに変わらないが、周囲の景色がナバエルモサよりは遥かに田舎の雰囲気で、数時間も走れば隣のポルトガルに入ってしまう地理的条件もあってか、マドリードやカタロニアから比べると少しだけ影が差しているというか、湿度が感じられる。
メリダに滞在していたのは2週間くらいだったのだが、以前放浪状態で旅していた時助けてくれた夫婦がこの食堂へ連れて行ってくれ、ふとしたことがきっかけとなって私はその滞在期間中、この店で夜のアルバイトをすることになってしまったのである。
この店は夜8時になると、近くに住んでいる女の子が2人アルバイトでやってくるのだが、1人は少し太めのかん高い声の女の子で、もう一人は細めで背が高く、きつい感じの女の子だったが、彼女たちが店に入ると、とたんにお客が増えてきてテーブルもカウンターも埋まってしまうのだ。
たまたま私たちも少し酒を飲もうと言うことになっていたので、その時間まで店にいてメーカー不明のウィスキーやカクテルを楽しんでいたのだが、その店には一応音響設備もあり、BGMも流れるようにはなっていたが、いかんせん客が酔ってしまうとみんなで歌いだしてしまい、それに併せてくれるならいいのだが、調律もしていないギターを、これまた客が勝手に弾きだしてメチャクチャなことになるのだった。
その余りのひどさに私はギターを弾いている客に、身振り手振りでギターを貸してくれるように頼んだ・・・中学高校と女にモテたいがために練習していたギターがこんなところで役立つとは思わなかったが、フォークギターでピックもカポタストも揃っていたので、調律してとりあえずF のコードを鳴らした・・・するとこうしたメチャクチャな中に始めてまともな音がなったことに驚いた客がシーンとなってしまい、これはまずい・・・何か弾かなくては・・と言う雰囲気だったので、昔相当練習したサイモン・&・ガーファンクルの「ボクサー」を歌わずに弾いた。
かなり間違えてボロボロだったのだが、珍しかったのか客達から盛大な拍手を貰い、頭をかきながらギターを元の客に戻したが、その後私はこの店でスターになってしまった。
次も何か弾いてくれ、弾いてくれと私の友人夫婦のところへ押し寄せ、かろうじて英語が話せる友人が私にリクエストを伝え、それを私が弾く・・・と言う図式が出来上がってしまい、既に昔ほどの腕も無いのでストロークで客の音程に合わせて演奏すると、みんなで歌うのである。
そしてそうした雰囲気に嬉しくなったのかアルバイトの女の子が踊りだし、酔ったおっさん数人でこの地方に伝わる陽気な、しかしどこか儚い感じの歌・・・コーラスが始まり、それに私がコードを合わせて演奏するとみんなこぶしを振り上げての大盛況となったのだった。
結局この日友人宅へ帰り着いたのは翌日の朝方になっていたが、この店のオーナー男性が友人と暫く話していたので、何かいやな予感はしていたが、翌日から夕方7時ごろになると背の高い方の女の子が、私を迎えに来るようになったのである。
1日2500ペセタ、実際は女の子に送迎の為のチップを渡していたから手取り2000ペセタで、これは非常に安い賃金ではあったが、こうした店ではこのくらいかなと思った私は、タダで友人宅に滞在している負い目もあり、この日からこの店のギターバンド奏者になったのだった。
客は男性が多かったが、毎晩来てくれる者もいて、言葉は通じなかったが、仲良くなった人も数人でき、アルバイトの女の子とも身振り手振りだが親しくなっていったが、毎晩みんなで歌い、酒を飲み、そして女も男も踊る・・・歌は下手だけどそこが良くて、この地方独特の音階の歌は男たちが合唱で歌っているのだが、酒で音程はしょっちゅう左右へふらふらするながらも、いい味わいがあった。
女の子たちもスカートの乱れまで踊りの1部に加えたように踊っていたが、おかしなものだ、いやらしさが無い・・・私は女、それを主張して何が悪い・・・と言う攻めの感じがあり、陽気さがあった。
多分もう滞在期間が終わる頃だったか、ある晩客の一人が、日本の歌を何か歌ってくれと言うようなジェスチャーをしたので、私は当時好きだった大滝詠一の「恋するカレン」を歌った・・・静かな曲だったのだが、みんな聴いてくれて、大いに盛り上がった・・・そして「それはお前が作った曲なのか」と言うように訪ねた客に私は思わず頷いてしまった・・。(大滝さん済みませんでした、私は嘘をついてしまいました・・・。)
今夜でアルバイトが終わると言う日、オーナーは店の住所と連絡先、それとボーナスとして10000ペセタを追加してくれ、女の子が2人で私を送ってくれたが、その車の中、彼女たちは「恋するカレン」を歌詞が分からなかったのか、スキャットで口ずさんでくれた・・・。
車の中から手を振って帰っていく彼女たちは私をいつも「ぼうや」とか「少年」と呼んでいたのだが、多分彼女より私は年上だっただろう・・・。
そして私は音楽の偉大さを、大滝詠一の偉大さをこの2週間で思い知ったのである。