「死神」

徳川夢声・・・と言って知る人は少なくなったかもしれないが、この人は話術の大家だったが、同時に怪しい話にも通じていて、裏ではそうした話の大家でもあった。
この徳川夢声が面白い話をしていたことが記録にあったので、今夜はそれを少し紹介しておこうか・・・最近こうした怪しい話ばかり書いているから、そのうち私が「怪しい話」の大家になりそうだが・・・。

「死神にとっつかまったとか、死神に見放されて死ぬって所を助かったなんて、そんな話をするが、落語なんかにも死神が出てくるが、あれは実際あるんだな・・・」
では夢声の死神の世界へ・・・・。

死神の素性とは地獄界の役人で、役人と言えば聞こえはいいが、夢声いわく、「身分なんてものじゃなくて、ごくごく低い身分でね・・・だから死神自身も無責任でデタラメなことばっかりやってる・・・まあ、木っ端役人だな」
彼は閻魔大王から命令されると、死の目星をつけた人間を連れてくるため、無精たらしく人間界へのこのこやってくる・・・
しかし死神と人間の間には薄いベールのような膜があって、向こうからこっちには自由に入って来れないらしい。

死神にとっ捕まるのは、目星をつけられた人間を連れて行こうとする死神がしょっちゅう、無精たらしく付けまわしていることを知らない人間が、うっかりベールのそばに近づき、あちら側に間違って踏み込んだ時だそうだ・・・、向こうにはみ出すと死神が「やれやら、やっと捕まえた、さあ、おいで・・・」と言うことになる訳だ。
ところがその人間の代わりに、飼っている猫とか犬とかが、身代わりに向こう側へはみ出すと、「ええい、面倒くさい、これを連れて行ってごまかしておけ」と死亡台帳にしかるべく書き入れて、帳尻を合わせておく・・・まあ2,3年はそれで大丈夫だが、やがて不正はばれてしまう。

閻魔大王に呼びつけられて大目玉って訳だ、そこで仕事の穴埋めをするため、また人間界へのこのこ出かけていく・・・が根っからの無精者、無責任な木っ端役人と来ているから、仕事がうまくいかないと、また代用をとっ捕まえて帰ってしまう・・・と言うのだ。
「あの人は何度も死に目に会っているのに不思議と九死に一生を得ている、実に不死身な人だ・・・」と言うのはこうした事情があるかららしい。

愛知県海部市の主婦R子さん(当時32歳)はある日、明け方だったが、牛のかいばにする草刈をしていた・・・、牛に草をやるといえば大体が主婦の仕事で、朝方のことである、早く草刈を終わらそうと焦ったR子さんは、足場が悪いけどいい草が沢山残っている崖の近くへ行って草を刈っていた。
夢中で草を刈っていると上空をヘリコプターが通った・・・思わずそれを見上げたR子さん、崖から足を滑らせ10数メートル下に落下したが、以前にもそこではこうして草刈をしていて崖から落ち、死んだ人がいたのだが、R子さんが崖から落ちた真下にはクコの木が新緑の枝を広げていた。
R子さんはまずそこに落ちてクッションになってから、その真下にいたヤギの背中に落ちた。
当然ヤギは押しつぶされて圧死したがヤギのお陰で彼女は無事だったのである。

このR子さん、やがてのこと妊娠し、胎児が8ヶ月頃になった時のことだが、ある日の土曜日、夕方から急に体の具合が悪くなった・・・、夕食も余り喉を通らず、夜8時には食べたものを戻してしまい、熱が出始めた。
やがてその熱は高熱になり、ガタガタふるえだした・・・夫のTさんは慌てて近くの産婦人科医院へ走ったが、医師は旅行で不在、いったん家へ帰ったTさんはそこでR子さんが訳の分からない発作を起こし、容態が急変したことに慌て、今度は助産婦を連れてきたが、手が出せない状態、ついにR子さんは急死してしまうのである。

そして葬儀には夫のTさんが産まれなかった子供とR子さんを不憫に思い、棺おけには大きな人形を入れて山の共同墓地に運んで穴の中に棺を納めた・・・そして読経とともに親族が焼香をしているときだった・・・急に穴の中の棺がドンドンと音を立て始めた。

にわかには信じがたいことに親族は「空耳だろう」とお互いを納得させようとしたが、そうしている間にも、またドンドンと棺がなる・・・、これはおかしい、と言うので棺の蓋をこじ開けてみると、なんとR子さんが息を吹き返していて、ついでに腹が痛いと言うので、棺おけのまま担がれて山を下りたが、その暫く後に男児を出産した。

当時2度も九死に一生を得たR子さん、死神に見放された人として近所で有名になったが、このR子さんが崖から落ちるとき、上から見ていた者がいた・・・と証言している。
朝方、R子さんしかいなかった崖の上にいた者とは、白いよれよれのシャツに茶色のだぶだぶズボン・・・ささくれになった日傘をかぶり、顔は真っ黒で描いたような目に、先がぎざぎざの歯で笑っていたのだが、その体を透かして後ろの草が見えていた・・・・とのことだった。

おかしな話だが、伊藤晴雨氏も死神を見たとしていて、彼もまたズボンの色や顔の色が少し違うが、このR子さんの証言に良く似た死神をスケッチに描いているのである。

死神・・・できればお会いしたくないものだ・・・。