「黒いストッキングの女」

1980年代、ある日のポーランド、ワルシャワ。
この数年前に旅したときはソビエト(現在のロシア)も、このポーランドもひどいものだった。
レストランがあって、やっと入ることができても、1時間以上待っても誰も出てこない、こちらから呼びに行って始めてウェートレスが出てくるが、そのメニューは沢山あっても作れるのは1品しかないなど当たり前、ホテルの部屋は、これは安かったからかも知れないが、小さな電燈のスイッチは手で閉めたり緩めたりの形式だった。

だが、この2度目のワルシャワでは少しどころか大変な変貌ぶりで、それもホテルや一流レストランで見かけるのは、多くのネクタイをした日本人の姿だった。
みな、同じ日本人だと思えば陽気にグラスを掲げ、それに応えるようにあちこちで酒のグラスが掲げられていた。

レストランでのことだったが、たまたま近くにいた会社役員と言う、50代ぐらいの日本人男性が私に話しかけてきて、「今夜の相手はいるのか・・・」と言ったが、はじめ何のことだか分からなかった私は、その内、この男性がサウジアラビアから女を買いに、ワルシャワに来ていることが分かり、ついでにこの会社役員の武勇伝を聞かされることになった。

「150ドルで3人とやった・・・、本当にワルシャワは良いな・・」
彼はワルシャワ女性が1人100ドルだと言うのを、「まけろ、まけろ」といい続け、ついに70ドルまで下げさせたが、3人で200ドル・・・つまり3人買ってくれと言うわけである・・・、3人は要らない、1人でいい・・・の押し問答が続き、結局3人を150ドルで買うことになった・・・と言うのだ。
全くどう言う体力をしているのか理解に苦しむが、彼はホテルのロビーで延々女性たちと交渉を続け、その夜は3人を相手にしたらしかった。

私はこの時代の日本人が一番嫌いだった。
金さえあれば何でもできる、いや何をしても良い・・・そう思っている、何が悪いことで何が良いことなのかを見失っていた時期だと思う。
だからこうしてあぶれている夜の女たちは、仕事がなくなるよりは・・・と思って自分を安く売ってしまっていたのだが、金をもっていて、なおかつこうした女性たちを安く買おうという、そう言う精神が許せなかった。

この時代ワルシャワでは150ドルが大金だったことは確かだ、1ドルが約50ズロッチ・・・これが闇のドルレートだと更にドルが高かっただろうし、日本円でも1ズロッチが5円ほど・・・、の計算からすると彼女たちは一晩で150万ズロッチを稼いでいたことになるが、これはこの頃のワルシャワの労働者たちの年収に相当する額面だ。
こうした背景から、ワルシャワでは一般家庭の女の子や、それまで普通の暮らしをしていた女性までが「夜の女」になって行き、挙句の果ては需要があったのか、幼い少女までが男の遊び道具となっていたのである。

また当時の日本は石油関連の事業を伸ばしていたから、商社や金融、一般大手企業も中東へ社員を派遣しているケースが多かったが、戒律の厳しいイスラム社会では到底「女」など調達できるものではなく、他人の女房を長く眺めていただけで罰せられる場合もある訳で、こうしたことから派遣されている企業の社員たちは、当初フランス・パリなどで「女」を調達していた。

だがこの時代、パリやイタリアでも「夜の女」と言えば、一晩の稼ぎが普通の職業労働賃金の2.3日分・・・つまり余り面白くない職業であることから、一般的には危険な女が従事していた・・・、薬物中毒、アルコール中毒、生活破綻者などの女性が多く、金を盗まれる、背後で仕切っている暴力組織とのトラブルなど、日本企業の社員がいざこざに巻き込まれるケースも多かった。

それゆえ社員の安全性を考えて、企業はその慰安と称するものを、安くて一般家庭の女性が多いワルシャワに求めていたケースがあった・・・、つまり企業が推薦して女はワルシャワで・・・とやっていたのである。
だからワルシャワを歩いていれば若い女からよく声をかけられ、みな怪しげな日本語が喋れる訳だ。
この頃聞いた話だったが、彼女達のようなワルシャワの女たちの顧客リストには、大量の日本人の名刺があったと言われている。
そして日本人が好むのが、黒いストッキングをはいた女で、白も人気があって、ワンピース姿が隠れたアイテムだったらしい。

くだんの会社役員は嬉しそうに話を続ける。
女と寝るときは、こちらへ(ワルシャワ)きた時に交換した、他の日本人の名刺を使って寝るのが流行ってるんですよ・・・、本でもそう書かれてましたからね・・・。

私は本当は心のどこかで、今日の日本の窮状を妥当だとしている部分がある・・・どこかで日本を憎んでいる・・・それはこうしたことを見て来たからかも知れない。
「こんなことをして・・・いつか滅んでしまえ」と何度も思ったことがあった。

始めてワルシャワへ旅したとき、貧しかったが普通の女の子、それもおそらく10代の女の子が100ドルで自分を買ってくれ・・・と言うようなことはなかった。
ホテルにはそれらしき女性もいたが、かなりの年齢で、しかも数は少なかった。

経済的に貧しい国ではまともに働いても大した金は稼げないが、そうした地域へ外貨が入ってくると、女の値段は国際的に何百倍、何千倍と言う格差がないため、女にかかわる産業が一番稼ぎが良くなり、そうした世界へどんどん人が引き込まれていく・・・、やがてその国の経済が発展してこうした女を売る価格の国際的格差がなくなると、自然にその国から女を売る仕事に従事する者が少なくなる。
これは一つの経済的原理であるかも知れない・・・、またこうしたことがなければ、その国の人たちが暮らしていけないのも事実だろう。
だったら、せめて金を持っているなら女の子を「値切るな!」

私もホテルのロビーで2人の女の子から声をかけられた・・・、2人とも20代前半くらいだったと思うが、「金がない」と言って断った。
少し不思議そうな顔をしたが、次の瞬間にはニコッ笑ってお辞儀し、別の日本人男性のところへ移っていった。
彼女たちのあの明るさがワルシャワの唯一の救いだったか・・・外はワルシャワらしい冷たい雨が降っていて、彼女たちもまた黒いストッキングをはいていた。