かなり前のことだが、いつも遊びに来る某○営放送の記者が、よほど記事がなかったのか、家へ立ち寄り、何か面白い記事がないか・・・と言うので、たまたま少し知り合いだった公共施設の館長に電話したところ、何やらイベントをやっているとの事、さっそく紹介したのだが、さすがに自分も長い間顔を出していないし、記者だけを指し向けて知らん顔と言う訳にもいかず同行したが、このイベントがまた華々しくつまらないイベントで、観客も殆どいない状態だった。
どうする、こんなんで記事を作れるか・・・と尋ねる私に、記者も暫く考えていたが、「仕方ないでしょう、今日はニュースが1本もないんじゃデスクに怒られますから・・・」と言うので、このイベントを2人で無理やり記事に仕立て上げることにした。
まず屋外の庭にいる子供や人に、みんな施設の中へ入ってもらって、イベント展示を見学しているような映像を撮影し、それから館長と、子供、それに主婦が1人いたので、みんなにそれぞれこちらで即興で作ったコメントを渡し、その通りインタビューに答えてもらった。
しかし全員集まっても6人しか人がいないので、施設職員や私までが顔を写さないことを条件にエキストラをやらされたのだが、カメラは常に人が集まった状態を撮影し、夕方のローカルニュースで編集した映像を見ると、大変な大盛況ぶりで映っていた。
程なく昼間の記者から電話がかかり、「いやー、助かりましたよ・・・またこれからもよろしく・・・」などと言うので、こうした手段は何回か使うとばれるから、気をつけるように伝えた。
全く冴えないイベントを大盛況のイベントに作り上げるのは比較的容易だし、よくある手でもある。
しかしこうした場合、面倒なのは協力してもらった人たちだ、みんな何時に放送されるのか聞きたがるが、実際のところニュースは撮影されてもそれが放送されるかどうかは、デスクや報道部長などが裁量権を持っていて、記者ではその場で明確な回答ができない・・・。
それで後からお知らせする・・・と言うことで連絡先を教えてもらい、それに電話しなければならなくなる。
おそらくビデオ撮影でもして、自分や子供が映っている場面を録画する為だろうが、こうしたことをしながら、私はある場面を思い出す・・・。
1985年8月12日、午前6時56分、その事故は起こった・・・。
ボーイング747SR、日本航空123便、東京の羽田から大阪伊丹へ向かって飛行中の、このジャンボジェットが群馬県多野郡上野村の高天原山に激突したのである。
乗員15名、乗客509名のうち、生存者は僅か4名のこの悲惨な事故は、墜落までに少しだが時間があり、その間に遺書をしたためた人が多く存在した・・・、また殆どの遺体はばらばらの肉片になってしまい、その後の身元確認でも多くの大学研究機関の協力を必要とした。
こうした背景とその事故の大きさから遺体収容、および生存者の救出には自衛隊の出動が求められ、この中で当時11歳の少女はあのような事故にもかかわらず、殆どかすり傷程度の状態で救出され、自衛隊員がヘリコプターから垂らされたロープを使って、少女を救出するシーンは感動的ですらあった。
だが乗員、乗客含めて524名、このうち生存していた4名は全て女性だった。
それも客室乗務員や先の少女などだった為、不謹慎な話だが、芸能界、出版界では彼女たちの誰かが体験手記でも書かないか、また芸能界デビューでも・・・と考えた者が多く存在していた。
そのため連日彼女たちは同情したような顔をした、リポーターや記者たちに追い回されるようになり、ことに映像でその救出シーンが全国放送された少女については、そのルックスや年齢の若さから、そうした期待が高まっていた。
しかし、この少女はこうしたマスコミの態度に「報道のおじさんたちへ・・」と言うコメントを出し、明確にマスコミ報道を拒否した・・・、こうした態度に習ったのだろう、他の生存者たちもそれから全くテレビでは報道されなくなった。
私はこの少女の姿、その表情を今でも忘れることができない。
テレビの取材にこれほど「嫌悪」の表情を表す人間はかつていなかった・・・、それに彼女には影があった・・・、そう当時大スターだった山口百恵のようなハイレベルな「影」があり、おそらく体験手記でも書いて社会の同情を集めれば、大スターも夢ではなかっただろうし、当時そうした自身の不幸な身の上を元に、スターの座に駆け上がろうとする者も少なくなかった・・・また彼女にそれを望んでいた者も大勢いた。
だが彼女の態度は一応こうした事故だし遠慮して・・・ではなく報道に対する憎しみのようなものすら感じた・・・実に立派だった。
おそらく彼女はしっかり人間が見えていたのだろう・・・、報道と言う虚飾に満ちた世界の虚飾まみれの言葉、その態度、そして不幸な事故を取材する同情者の仮面の下に隠された醜い心無さ・・・多くの人が死に、自身の親まで事故で亡くした彼女に、心配そうに近寄ってくる汚い大人の姿が、手に取るように分かったのではないだろうか。
また凄いのは彼女の両親だ・・・、僅か11歳の少女に、こうした一言をしっかり言えるよう教育したその親の偉大さ、やろうとすれば出来ただろう華やかな暮らしに目を曇らせることなく、道理を持ってNOと言える彼女の人間的崇高さ・・・、それをそうあらしめた親の偉大さを感じるのであり、本来一般の人が報道に対してとる態度としては、彼女ほど適切な対応をしたものは他にいなかった。
確かあの少女の夢は看護士さんだったと思うが・・・今頃どこかできっと人の命を沢山救う仕事で頑張っているだろう・・・いや彼女にはそう信じさせてくれるものがあった。