「それはどこか熟し切った杏(あんず)の匂いに近いものだった。彼は焼け跡を歩きながら、かすかにこの匂いを感じ、炎天に腐った死骸の匂いも存外悪くないと思ったりした。が、死骸の重なり重なった池の前に立ってみると、「酸鼻」と云う言葉も感覚的に決して誇張ではことを発見した。殊に彼の心を動かしたのは十二、三歳の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた。「神々に愛せらるるものは夭折す」・・・・こう云う言葉なども思い出した」(芥川龍之介、或阿呆の一生より)
また「杉村楚人冠」(すぎむら・そじんかん)は「余震」の中でこんなことを書いている。
「地震で東京が焼けて一面の野原になってしまったのを見たとき、あわれなと言うよりも、そうれ見ろと言ってみたいような気が腹のどこやらでした。それが私ばかりかと思ったら、大分同じ思いをした人があるらしい。けしからぬことかも知れぬが、実際そんな気がしたのだから仕方がない」
「誰も彼も玄米を食い、誰も彼もてくてくと歩かなければならなかった当時は、苦しい中にも、自分の世界になったようで、うれしかった。誰彼の別がないというところに言うべからざる興味を覚えた。だんだん復興しかかってきた今日でも、なおいたるところにこの平等無差別の態が味わわれる。
(中略)わればかり人と違ったような顔をしなくてもよい世の中はまったく身も心ものびゆくを覚える」
そしてこれは「竹久夢二」だが・・・、
「私自身が命を助かっているのだから、そう言っては申し訳ない気がするが、しかしお気の毒とか、可哀そうだとか言っただけでは、どうにも心持に添わないものが残る。もっと何かしら心の踊上がるような、喜びでも、悲しみでもない、この大きな感動を、さて何と言ったらよかろう」
「それは近代の商業主義に対する、一ロマンチストの反感に過ぎないものだろうか。唯物的な文化に対する、唯心的な感覚の反発だろうか」
「何しろ、何の知らせもなしに、ひょいと自然が小指一本動かすと、轟然として、さしも殷賑を極めた彼らのいわゆる文化の都が一瞬にして、ただ一色の朱に、次に灰色になった。幾百万の人間が、たった一つの意識でつながったという事実は、挙国一致の戦争よりも、もっと気があっていたと思う、いや全く人間と、すべての社会生活を忘れて、個々別々にたった一人の人間になったと言った方が本当かも知れない・・・・」と「変災雑記」に記している。
同じことは「田山花袋」が婦人公論の大正12年10月号でも語っていて、こちらは「なんと言って好いか私にはわからない。好い見せしめだ!などと単純に言ってしまうことはできない」としながらも、物質上の平等や精神上の平等が震災によって考えられた、また人間の心の中に、微妙に自他の平等という種子が蒔かれて来はしないかと考える…としている。
これが「生田長江」になるとさらに過激なことになるが、震災のその瞬間「とうとう来やがったな」と思い、「神はついにその懲らしめの手を挙げたもうた・・・」と思ったと言う。
そしてこの大帝都を焦土に化し行く、もの凄い火焔を望見しながら、私自身をも込めた日本人及び日本の社会へ呼びかけた、「どうだ、少しは思い知ったか?これでもまだ目覚めないというのか」…と心の中で叫んだと言うのだ。
また渋沢子爵はこの大震災を一つの「天譴」(てんけん)であるとしたことを、生田氏は高く評価し、その論評もしているが、不思議なことにかなりの人間が、この大震災の襲来を自身も被災しながら「そうれ見たことか、ざまー見ろ」と思っていたことである。
生田氏は婦人公論の中でこうも語っている。
すなわち、明治維新以来、日本は順調続きで、いつも神風が吹くものと思っていて、「国民的成金」根性になりきっている・・・、日本人は個人的にも社会的にも全く救うべからざるデカダンだった。
言い訳とごまかしの妥協的改革論や、野次馬気分と売名行為のための革命主義などには全く絶望しか感じない。
日本人の間違った「自足」と「のほほん」加減、虫のよさと浅薄さ、不真面目さは何か大きな天変地異でもないと絶対一掃されないと思っていた。
そしてこうした思いつめた社会観が蔓延していて、今年あたりはそのピークだった、もうそろそろ何かが起こると思っていた…というのだが、この続きが冒頭の「とうとう来やがった」に繋がるのである。
だが、こうした気持は私にもどこかで分かる部分がある・・・、いやおそらく日本人のほとんどが、もしかしたらこうした気持の中にあるのかも知れない。
先が見えない、経済は混乱、政治は言わずもがの状態、世界的に見ても日本の地位や信頼は失われる一方、どこかで聞いたような安直な話がもてはやされ、行政は言い訳やごまかしで民衆を騙せると思っているし、貧富の差は拡大する一方・・・食料も不安なら油も不安、ついでに隣国は火車の状態だ、どうして未来に希望が持てようか・・・。
いっそ何かとんでもないことが起こってリセットになってくれた方が、どれだけすっきりすることか・・・などと思うことはないだろうか。
そしてこの大正12年の例を見ても分かるように、こんな社会はまっぴらだ、何か大きな天変地異でも起こってくれて、社会をリセットでもしてくれないだろうか・・・と言うようなことを心の片隅にでも思う人間が多くなってくると、そこへ誘われるようにして、大きな天変地異がやってきていることを、我々は忘れてはならないだろう・・・・。