キャップの下から髪を伝って信じられないほどの汗が滴り落ち、それが目に入って痛い・・・、すでにTシャツは突然のスコールにでも出合ったように、絞ればこれも汗が滴ることだろう。
暑い、いや正確には蒸し暑い、それも地面から立ち上がる水蒸気と、山の緑が出す独特の熱気、夏の夜の、空気が止まったような暑さで、まるで蒸し鍋で蒸されているような暑さだ。
草薮を歩いていると懐中電灯が時々光を失い始めて、不安定になってきた。
月はなく完全な闇夜、「おい、懐中電灯の電池は持っているか」
「おお、有るが、俺のポケットだ」
「もうこの電池は限界だ、交換しないとだめだ」
私はもう一人の相棒から電池を受け取ろうとしたが、せっかく握ったのに電池は汗で滑り、ストンと下に落ちた。
「馬鹿野郎、何やってんだ、こんなところで落としたら見つからんぞ」
「ちょっと待ってくれ、今ライターに火をつけるからそれで探す」
カチカチ音を立ててやっと炎を上げた100円ライターは、あたりをこれまた異様なまでに不安定に照らし始める。
そしてこのライターの光に反射して、草むらの中で落とした電池がキラッと輝き、私はそれを拾った。
懐中電灯の後ろのキャップを緩め、使い古した電池を抜き、それをポケットにしまうと新しい電池を2本入れ、またキャップを閉めスイッチを押す・・・、「おお、やはり電池が新しいと明るいな・・・」
暗闇で光ほどありがたいものはない。
ほっとした私たちだったが、その時どこか遠いところからピーン、ピーン・・・と一定の間隔でだれかが杭を打っているような音が聞こえた。
「おいあれは・・・」「ああ、モヨウだ」
この地方ではモヨウと言うが、正式名称は「鵺」(ぬえ)、顔は猿、狸の胴体を持ち、虎の手足、尻尾は蛇とされる伝説の雷獣、その正体は「トラツグミ」と言う鳥らしいが、古来より限りなく不吉とされるこの鳥が鳴くには、その夜は余りにもお似合いの夜だった。
以前から精神的に不安定で家族も注意していたのだが、近所の男性(71歳)が夕方になっても帰って来ない・・・とその男性の妻が家を訪れた頃には、すでに辺りは暗くなりかかっていて、時間にしたら8時ぐらいだっただろうか、それから村人すべてに連絡し、みんなでいろんな備品を揃え、捜索に向かった時は9時近くになってしまっていた。
こうした村では行方不明者の捜索はたまにあることで、この場合はある程度の手順が有り、まず警察に連絡し、それから一番最初にその人間が住んでいる最小単位の「区」、およそ15軒前後だが、それでまず捜索し、それでも見つからなければ村全体、凡そ80軒から1人ずつ出てもらって探し、さらに見つからないときは地元消防団や、自警団が動く仕組みになっていて、これはどちらかと言えば行方不明者を出した家にできるだけ負担がかからないように、初期は少人数で探し始める仕組みと言えるだろう。
この晩は一番最初の段階で、15軒ほどの近所の家から足の達者な者はすべて出てもらって、2人1組になり、鎌と2メートル前後の竹竿を持って、山の方へ歩いて行ったと言う目撃談から、皆で山へ捜索に出かけていたのであり、当然我が家からも私と私の父、それに母までがみんなで山に入っていたのである。
子供ころ庭のように熟知していた山だが、やはり夜ともなればその様子はまったく違ったものに見え、私と組んでいる近所の男性もまた、僅かな物音にもビクっとしながら歩いていたが、この場合何らかの理由で行方不明者が死んでいる場合もあり、草むらを竹竿でつつきながら、怪しい草むらは鎌で草を刈って探すのだが、何分暗闇を懐中電灯で探していると、怪しいといえばすべてが怪しく見え、鳥が飛び立つ音や狸や狐が逃げるときに出る「ガサッ」と言う音でも、絶叫してしまいそうになる。
7月終わりの頃だったと思うが、本当に蒸し暑い夜で、それだけでも不気味なのに、行方不明の人を探しているとなると、「頼む、自分たちが第一発見者にならないでくれ・・・」と祈りながら探しているのが実情だった。
そこへ「鵺」の鳴き声なのである。
鵺の鳴き声は本当に薄気味悪いもので、まるで遠くの山で誰かが一定間隔で杭を打ちつけている音のようでもあり、また蛇口に溜まった水滴が、洗面器に残ったに水の上に一滴一滴落ちているようにも聞こえるし、女が高い声で叫んでいるようにも聞こえる。
こんな蒸し暑い夜に鳴き、それは1番中続き、一度気になりだしたら絶対朝まで眠れなくなるが、私の住んでいるところでは「鵺」には雄と雌がいると言われていて、その鳴き声は微妙だが違っていて、雄の鳴き声はピーン・・・と言う具合に最後に僅かな止めが入るが、メスはどちらかと言うと、ピー・・・と言う具合で雄のような止めがなく、ひどい夜にはこの雄と雌がまるで鳴き声で互いを確かめるように、交互に朝まで鳴き続けることがある。
平安の時代から不吉とされるこの鳥の鳴き声は、私たちのところでもこれが鳴くと人が死ぬ・・・と言い伝えられていて、それでなくてもこれを聞くと、家に何か悪いことが起こると言われている忌み鳥である。
私と相棒の男性は、林道をたまに藪の中へ入りながら行方不明者を探していたが、さすがに夜の12時を過ぎる頃になると、山もそうだが、近くを流れる小さな川の水の音が変わってくる。
周囲は静かになるのだが、川の水の音は逆に少し大きくなってくるのであり、一瞬にして気配が変わったようになる。
そこへ鵺がピーン、ピーン・・・と計ったように規則的に鳴くのである。
「おい、今夜はもうこれくらいにして、明日、明るくなったらまた探さんか・・・」、相棒の男性が私に言う。
私は待っていたようにこれに賛成した。
そうして2人で林道を引き返そうとしたときだった・・・、「おーい、今夜はこれで終わりにするぞ・・・」と言う声が少し離れたところから聞こえてきた。
どうやら今夜は誰も行方不明の人を見つけられなかったらしく、これで解散と言うことになるが、こんな季節のこと、朝は5時前から明るくなってくる、しばらく仮眠を取って明日また探そうと言うことになった。
家へ帰ってシャワーを浴びた私は体が火照ってしまい、扇風機を当てながら布団の上に横になったが、そこへまたピーン、ピーン・・・と鵺が鳴く・・・、むかし幼い頃この鳴き声が聞こえると、私はなぜか青白い顔の坊主が、向かいの山で何か恐ろしい目的のために杭を打っている場面を想像し、なかなか眠れなかったものだが、この晩も同じように眠れなかった。
「早く来ないとこの男は連れて行くぞ・・・」と青白い顔の坊主が言っているようで、結局明るくなるまで鵺の鳴き声は続き、一睡もできなかった。
翌朝5時30分ごろ、昨夜に続いて捜索を始めてすぐのことだったが、行方不明の男性は、山の林道付近の水が通っていない古い水路でうずくまっているのが発見された。
どこも怪我はなく、夜になって動けなくなったので一晩中そこにいたと言うことだった・・・が、おかしなことにその場所は私と相棒の男性が少なくとも4回は探した場所で、昨夜はそこに人などはいなかったのだが・・・。
※ この記事は2009年に他サイトに掲載したものを再掲載しています。