「地方分権の奈落」

朝、目が醒めて何気なく自室の机を見たら、その上に缶コーヒーが置いてあったが、そうだった昨夜飲み切れずに半分ほど残したものだった・・・、大したことはなかろうと手に取りチビチビ飲んだが、最後の一口を飲んだら口の中で何かおかしな感触がした。
これは・・・・嫌な予感は的中した、口の中から出てきたものは何と小さな「蛾」だった。しまったせめて冷蔵庫にでも入れておけば良かったとは思ったが、すでに手遅れか・・・、そうした訳で今日は何となく冴えない1日のスタートになってしまった。

「おー、久しぶりだな、どうしたその頭は、随分涼しげじゃないか・・・」
「何だと、そういうお前こそ何だその腹は、妊娠6ヶ月か・・・」
その料亭の座敷にはどうだろうか・・・、30年ぶり、いや40年になるか、それくらい久しぶりにこうして中学時代の同級生が顔を合わせたが、みんなどこかで面影はあるものの信じられない変貌振りで、懐かしいやらおかしいやらで盛り上がっていた。

そして宴もたけなわに差し掛かった頃、大してうだつの上がらない同級生の中で、1人だけだったが、どうにかこうにか成功した者がいて、みんなの話題は自然とその男の話で持ちきりになり、ついにはこの町の英雄のために「記念館」でも作ってはどうか・・・などと言う話になっていったが、そうした話になると必ず出てくるのは、「俺は市長と知りあいだから」とか「俺は代議士の何某とは懇意だ」と言う輩である。

まあここまでだったら笑い話だ・・・、がしかし田舎の恐ろしいところは、この話には続きがあることで、何とこうした話を本当に市長や代議士のところに持って行ってしまい、それに乗って仕事がない土建業者が話を応援し、ついには議会で予算が通り、信じられない話だが「記念館」が本当に建築されてしまうことだ。

そして総工費1億5000万円の○○様記念館はついにオープンを迎え、建設に尽力した同級生代表が感極まって涙を浮かべ、来賓の祝辞を受ける姿などが報道されるが、そうした同級生代表の隣で、所在投げに記念館を建てられた本人がいたりする。
また実際は60人しか来なかった記念館オープンの記事は、地元新聞では200人が参加して大盛況だった・・・などと報道される。

記念館オープンから1ヵ月後・・・、その記念館を訪れてみる・・・、と、なかなかえぐい光景がそこには広がっていて、観覧客はまったくおらず、1日の平均来場者数は2名しかいなかったりするが、職員はしっかり3名いて、行政が運営しているものだから、特に反対がなければ年間数千万円の人件費その他が、税金で支払われてもまったく問題なしの状態になっている。

そしてこうしたことに市民から何か意見が出るかと思えば、住民の殆どが高齢者、なおかつ親戚縁者には必ず公務員が1人はいる社会主義地域と言う状態では、どんな話でも反対意見など出ようはずもないのである。

またこちらはとある地方空港・・・、半径60キロメートルの範囲に2つも空港があるにもかかわらず、また新しい小さな空港を作って、しかもその周辺市町村の人口はすべて合計しても5万人以下、完全な過疎地域だが、こうした空港では本来東京までの往復運賃が3万円前後になるが、この30%を地元自治体が運賃補助を出して空港の維持に努めている。

だから旅行代理店はこうした往復運賃よりはるかに安い料金で宿泊食事が付いたパックを販売しているが、こうした行政の補助が、特定の業者のみに利益的保護を与えることは大変大きな問題なのだが、このようなことがそもそも議論しようにも、いけないことだと言う概念が田舎にはない。
観光が優先され、そのために税金が使われ、他の産業との不公正が発生しているのだが、例えば知事ですらこうした感覚がない。

また地方空港では航空会社との契約で「搭乗率保障制度」の約定を結んでいることが多いが、これは飛行機に乗る客の搭乗率が決められた割合を下回ると、行政が航空会社にその減少分を保障する制度で、空港の建設費、その維持管理費すらも行政が毎年数億円単位で拠出して、過疎の観光業者のためだけに税金を使い、地元では「空港がなくなってもいいのか」を合言葉に、バスなら安くなる旅行を無理やり飛行機を使っていく・・・と言う非合理的な話になっているのである。
つまり税金を使って航空会社や観光業者を養っているだけであって、こうした仕組みと言うのは、膨大な税金を使って過疎の小さな産業を、それらしく仕事になっているように見せかけているだけだ。

官僚は自分たちの保身や機構維持のために税金を食い物にしたが、地方の行政などはそれ以下だ・・・、システムを作って予算も地方へ配分します、しかしその予算を使う側の能力をどうする。