「河合くん、これは何だ、一体何回言えば分かるんだ」
○△商事販促部係長、「浦飯雄太」は今年入社した新人「河合エリカ」さんを呼びつけたが、どうもこのエリカさん、しっくり来ない。
やる気があるのか、ないのか・・・、たまにボーっとしているし、そうかと思えば必要以上に笑っていることもあるが、いつもニヤニヤしていると言うか、薄ら笑いのような笑いを浮かべていて、それで失敗ばかり。
「ちょっと・・、河合さん、これは何よ、もう入社して半年も経つんだから、せめて資料ぐらいは作れないと・・・」
ハイミスでこの道17年のベテラン「多田奈美子」もエリカさんを呼びつけ、資料のページが間違っていることを咎めるが、エリカさんはこのときも、ただひたすら謝り続け、そして無理したような薄い微笑みを浮かべていた。
「まったく、笑顔なら良いって言う問題じゃないわよ、馬鹿にしてるんじゃない」多田奈美子は益々頭にきたようだったが、ヒールを返すと自分のデスクに戻っていった。
この光景・・・、どこにでもあるような会社内部の風景だ・・・、が、実は大変なことが潜んでいる可能性が高い。 河合エリカさんはもしかしたらある病気になっているかも知れないのだ。
今夜はうつ病の初期症状で、好景気の後、いきなり不景気なった社会で起こってくる社会現象、「ほほえみ症候群」について少し話しておこうか・・・。
1980年末まで続いた日本のバブル景気は、1991年2月ついに破綻、1992年、1993年と深刻な不景気になっていったが、どちらかといえば人口動態では若い女性が結婚適齢期の男性人口より少なく、この時期はいわば女の時代となっていた。
しかしこうした「女の時代」と言われながら、こと就職に関しては時代が「女の時代」に付いていっておらず、相変わらず男社会だった為、バブルが崩壊した1991年には大学卒業女子の就職状況は気象で言うと「雨」、それが1992年にはどしゃぶり、93年に至っては洪水になり、94年では氷河期と呼ばれるまで落ち込んでしまった。
このような女性の就職状況の中、男女雇用機会均等法の兼ね合いもあり、各企業は女性にも就職機会の門を開いているかに見えたが、その実情はすでに女性の社員は採用しないことが暗黙の規定となっていたり、最初から採用するつもりも無いのに、本人を諦めさせるために面接を行うなどの事態が発生していて、こうした面接ではわざと女性が嫌がることを聞く、つまりセクハラ面接などが横行していったのである。
そしてこうした時期の女性には更に不幸なことが起こり始めていた。
運良く何とか就職した女性たちを待っていたものは、景気ジェネレーションギャップだったのである。
これはどう言うことかと言うと、1991年までは日本は空前のバブル景気、自分が頑張りさえすれば欲しいものは全て手に入る時代、行け行けどんどん・・・の時代だったわけだが、こうした社員が先輩として揃っている会社へ、言わば不景気で元気の無い、余り良い目にあったことが無い時代の女性新入社員が放り込まれたわけである。
この両者は互いが理解しあうことは困難で、社会がどんどん悪く、しかも収縮していく中で、会社と言う組織はたとえ業績が伸びなくても社員に「元気で頑張っている」状態を求め、そのため厳しい現実社会と、こうした頑張れば何とかなると言う、非常に精神論的な会社や先輩社員達との狭間で、言葉が信じられなくなり、自身の身の置き場、ひどい場合は自分がどう言う表情をして良いかすら分からなくなって、つまり精神的には初期の破綻をきたした女性が増えて行ったのである。
そしてこうした場合に決まって見られる表情が薄い笑い、微笑みで、これは相手に対して自分がどう言う表情をして良いのかが分からなくなった場合、苦し紛れにする人間の行動で、この状態が続いている時は自身の内部で価値基準や、判断ができない状況になっていると考えたほうが良い。
つまりこうだ、景気が悪い中、会社で必要な資料のコピーを取るのでも無駄が無いよう指示が出るが、では実際にちょうどの部数の資料を作った場合、もし足りなくなったらどうしようと思って、余分に5部ほど作ったとしようか・・・、この場合「どうして君は会社が無駄を省けと言っているのに、それが分からんのかね」と言われ、ではちょうど必要な部数しか作らなかった場合はどうなるか・・・、会議の人数が変更になり「何で少しくらい余計に作っておかないかな・・・」と言うことになるが、こうしたことはすべて「運」だ。
この場合新入社員では、一体どうしたらいいか判断ができなくなり、次第にこうしたことが重なると、「何をしたらいいのか、自分のやることはすべて駄目なのでは・・・」と思うようになってしまう。
そこで先輩、上司に相談すれば、その先輩や上司はただひたすらに「頑張れ、そしたら先が見える」などと言ってくれる。
しかし現実にはどうなるかと言えば、そう言って頑張っていた上司がリストラされる・・・と言うような矛盾の前に、どうにも思考ができなくなって、ただ薄ら笑いを浮かべるだけになっていく。
こうした状態を「ほほえみ症候群」と言い、精神、神経学の観点から初期のうつ病として、通常の状態から区分を設け、治療の対象としたのだが、具体的にはどうなるかと言うと、いつもニコニコと薄く笑った状態になるが、何か仕事をしようとしても簡単なことが理由でそれができない、また通常だと何でもないことがはかどらず、それで叱るとさらに混乱して何もできなくなってしまう、そう言う症状になり、この場合「頑張って」などと言う言葉は本人を追い詰め、最終的には自殺と言った事態を招く場合がある。
そしてこの「ほほえみ症候群」、実はバブル期に青春時代だった教師と、中学生や小学生の間にも、同じような症状を生み出す場合がある。
バブル期に青春時代を迎えていた教師は、どこかで「頑張れば何とでもなれる」と言う部分があるが、では不景気のどん底にある社会では、家へ帰った時子供が見る親の現実は、到底頑張れば何とかなるものではなく、こうした事態に整合性が見出せなくなり、そこで教師から「頑張れ、頑張れ」と言われる児童、生徒はどうなるかと言えば、引きつったように薄い笑いしか返す表情が無くなるのである。
「ほほえみ症候群」は広義では「うつ病の初期症状」と言えるかもしれない。
しかし例え景気が悪くても、とりあえず元気で、健康的で頑張っていると言う「形」を求める日本の社会や企業と言う特性を考えたとき、これは世界的な区分として日本的疾患といえるのではないだろうか。
そして女性が下にも置かない扱いを受けた、ジュリアナ東京のお姉さま世代と、長い不景気の中で「この世はどちらかと言えば悪いことのほうが多いかも知れない」と思いながら育った世代では、同じ女性だと言う単位だけで考えていると、その内重大な疾患を抱えた女性が増えてくる可能性が否定できない。
最後に、実はこの「ほほえみ症候群」、バブル期の両親とそれが破綻してから産まれた子どもの間でも、同じようなことが考えられることを付け加えておこうか・・・。
※ この記事は2009年に執筆されたものですので、年代の換算にご注意ください。