まだ幼いころだったが、私たち子供にとっては秋と言う季節は大変重要な季節だった。
何よりも嬉しかったのは、出稼ぎで加賀へ稲刈りに言っている母親や祖母が帰ってくることで、私たちが幼い頃、この地域の女性はみんな8月の終わりから加賀(石川県)へ稲刈りの出稼ぎに行き、それで一家の家計の足しにしていたのだが、そのおかげで10月前後まで家には女たちがいない時期があった。
また父親や祖父が炭焼きをしていた私の家では、窯に火が入ると父親も祖父も家に帰って来れず、こうした時期、まだ4、5歳だった弟と私だけで夜を過ごす日も多かった。
多分私とてその当時は7歳か8歳にしかなっていなかっただろうが、それでも米をといでご飯を炊き、惣菜は作れなかったから、父親が置いていった「福神漬け」でご飯を食べていると、弟が「母ちゃん・・・」と言って泣き出し、困った記憶がかすかに残っている。
女たちは10月になると帰ってくるのだが、その日は本当に嬉しかったものだ・・・、普段は食べれないようなお菓子や梨、それにお土産のおもちゃなどを担いだ母親や祖母が家に帰ってくると、まるで明るい陽が差したような思いがしたもので、私は風呂に薪をくべて、これを待っていたものだった。
そしてこうして女たちが帰ってくると、今度は自分の家の稲刈りが始まるのだが、お土産やお菓子を貰った手前、手伝わないわけにはいかず、毎晩遅くまでこき使われながら、それでも大きな月に照らされて、刈り取った稲をハザと言う平面櫓(やぐら)に掛ける作業をしていると、子どもながらにも働くこと、誰かの役に立つことの充足感を感じたものだった。
だが子供とって秋の重要性はこれだけではない、その一つが栗だったが、シバ栗は当時1升(約1・75リットル)が300円くらいで売れていたことから、これが大きかった。
一斗(1升の10倍)も拾えば3000円にもなり、これは当時のあんぱんで換算すると、200個のあんぱんが買える金額だったことから、私たち子供は時間さえあれば山へ栗拾いに行っていたものだったが、シバ栗は現在市場に出ているあの大きな栗とは違って小さく、なかなか1升拾うのは難儀なことではあったが、こうした子どもが拾う栗の収入でも、一秋に1万円とか言う事があったものだ。
そして山に入って一番気になるのが「あけび」だったが、私たち子供の中では誰が一番大きくて美しい「あけび」を取ったか・・・・、と言うことは非常に大きな意味があって、一番大きくて見事な「あけび」を取った者はある種、尊敬の対象でもあったような気がする。
ある日、近所の私よりは1つ年下の男の子と2人で山に入った私は、偶然にも結構高い木の枝にぶら下がる大きな「あけび」を見つけ、しかもそれが20個ほど鈴成りになっていたことから、これを取れば今年の「あけび」1番は自分のものだな・・・と思ったのだが、惜しいかなそのすぐ近くに「黄色スズメバチ」が巣を作っていて、それも結構な大きさがあった。
そしてどうもみながこの「あけび」を狙っていたようだが、スズメバチの巣が恐ろしくて「あけび」が取れなかったことを察知した私は、その日は諦めたが、どうしても諦めることができず、翌日、昨日の男の子と2人で竹ざおを持ってこの「あけび」収奪作戦を敢行した。
まず条件は一番大きな「あけび」はわたしのもの、2番目に大きなものは近所の男の子のもの、2人で1位、2位を独占すると言うことで、竹ざおで蜂の巣を落として逃げて、暫らくして蜂がいなくなったら、「あけび」を取りに木に登ろう・・・と言う作戦だった。
昨日の場所にたどり着いた私たちは蜂に気づかれないようにそーっと近づき、そして一気に蜂の巣を長い竹ざおでつついた・・・、が、蜂の巣はなかなか大きくて落ちない、あせった私たちは更に激しく蜂の巣を叩いたが、これに怒ったのはスズメバチ達だった。
物凄い勢いで何百匹と言うスズメバチが、アッと言う間に私と近所の子の体にたかり、あちこちを刺し始め、私たちは頭と言わず顔と言わず、背中と言わず、殆ど全身を刺され、それを手で振り払いながら必死で逃げたが、家に帰り着いてもまだ数匹の蜂が服の上にしがみついていて、おそらく1人あたり40箇所以上は刺されてしまったのではなかっただろうか。
ここまで徹底的に刺されると、どこが痛いのかさえも分からなくなるものだ。
頭や顔はあちこち腫れてぼこぼこになり、心臓が脈うつたびに全身を激痛が走り、あれはひどかったものだ・・・、がその日の夕方晩御飯を食べていると、こうした私の姿を見た母親が言ったものだ、「その顔はどうした」・・・。
それに対してまさか「あけび」欲しさに、スズメバチの巣を叩いたとも言えなかった私は「ちょっと蜂に刺された」と答えたが、それを黙って聞いていた母親は「ふーん」とだけ言って、そのまま我が家の食卓では食事が続けられたのだった。
おかしなもので私は今でもそうだが、この頃から蜂をそう大したものだとは考えておらず、このときも1週間ほどは腫れたが、その後は自然に治ってしまった。
そして体中のボコボコが治ったころ、私は相変わらずあの「あけび」のことが諦められず、くだんの山へ行ってみたのだが、何と巣を壊された蜂は付近にはおらず、見事な「あけび」が少し色は悪くなったがそのままになっていた。
これはしめしめ・・・と思った私は心踊る気分で木にのぼり、腰に差しておいた鎌であけびのつるを切り、一気に20個ほどの「あけび」を地面に切り落とした。
そして喜び勇んでそれらの「あけび」の中を開いた私は、ショックでめまいがしたものだった。
何とあけびの中身は鳥か虫、或いは蜂なのかも知れないが、そうしたものによって殆どすべて、食い荒らされていたのである。
何だこんなものの為に、あんな痛い思いまでしたのか・・・、私はガックリきてしまい、夕焼けのきれいな山道を一人トボトボと帰宅した・・・。
今でもこうして夕焼けのきれいな日には思い出す・・・、ああした秋、蜂に刺されたこと、そして「あけび」の中身が食い荒らされていてガックリしたこと・・・。
しかしそうしたものであっても、遠い記憶を辿れば、きっと私の口元は緩んでいるに違いない・・・。