「あら、お父さんも少し顔が赤いですね、はいこれ・・・」と言って看護士さんから渡された体温計をしぶしぶ脇に挟んだ私は、やがてメロディーが流れ、取り出した体温計を見て思わず隠そうとしたが、それをタイミング良くくだんの看護士さんに取り上げられた。
そしてやっぱりね・・・と言う表情の看護士さんに腕をつかまれ、「はい、38・6度、新型の疑いありですね、こちらへどうぞ・・・」と言って内科の診察室へ連行された。
悪い予感はしていたが、中3の娘が昨夜から何度も吐いているのを知っていた私は、彼女を診察させるために、長男が生まれたときから何かと通っているこの総合病院へと訪れたのだが、この病院の内科の看護士の中には少なくとも17・8年前から顔見知りの者がいて、彼女は細身で、こんなことを書くと怒られるかもしれないが、その顔には生気が無く、まったく影が薄い感じ、しかも病院の蛍光灯の下では、少し全体に制服のライトグリーンが被って、まるで幽霊のように見えることから、昔本人には綺麗だから・・・などと言いながら本当はその幽霊然としたところにほれ込んで、写真を撮らせて貰ったことがあった。
だがこの看護士さん、見た目とは裏腹にとても強引な人で、子どもの診察で訪れると必ず私にも体温を測らせるのであり、そしてそうした中から過去数回は、こうした経緯によって自分もインフルエンザに感染していたことが判明したことがあった為、今回も何とかしてそれを免れようとしたのだが、何せ17・8年前は20代のうら若き乙女だったかも知れないが、今ではその頃とは外見こそはそう変わらないものの、中身は百戦錬磨のベテラン看護士、しかも3人の子供の母親でもある。
私など赤子の手をひねるようなもので、長年の習性まで熟知されていて、何か言う前に既に診察を受けさせられている。
そしてめでたいことに、娘も私も見事に新型インフルエンザと言うことで、お帰りには10円のマスクを買わされ、一般通路とは別の暗い通路を通って帰るようにとのことだった。
何かとても悪いことをして、表を歩けないような感じで情けない気分にはなったが、是非も無い・・・これで家で寝ている家内を含めて3人が感染し、その内2人が寝込むことになったが、なかなか楽しい展開になってきた。
しかし高熱とはいいものだ、時々クラクラっと意識が遠のく瞬間は独特の浮揚感があり、これはこれで捨て難い。
私は昔から寝込むことが嫌いだったので、こうして家族が寝込んで、自分も熱があっても39度を超えない限り寝込まないことに決めているが、多少めまいが来るほどの方が自制が利いていて結果は悪くないのだ。
それにこれは「葬式」と言う記事でも書いた記憶があるが、私には「死」の概念が連続したものになっていて、これは例えば「生まれたときから、それは死の始まり」などと言う観念的なものではなく、視覚的に明確な死の流れのイメージがあり、この最初の入り口が寝込むことだからだ。
むかし私の家ばかりではなく、この付近の家ではみんな年寄りは家で死んでいったのであり、病院などで死んだものは1人もいなかった。
そしてその一番初めが食事に起きてこれない、寝込みであり、次第に運んだ食事も食べられなくなって衰弱し、ついには呼吸はしているが体は固まった状態になって行き、この頃になると家族は家の掃除をし出すのだが、それは明らかに葬式の準備だった。
やがてついに呼吸をしなくなり、往診で医師を呼んで「死」が確認されると、みなで葬式の段取りが始まる・・・が、このときの死人の扱いは随分生きている者と落差を感じる扱いで、棺桶(この時代の棺桶は本当に桶型だった)に死人が入らない場合は、金槌で足を折ったりして無理やり棺桶に入れられたものだった。
幼い頃からこうした流れを見ている私としては「死んだら終わりだ」と言うことが明確にどこかで刻み込まれていて、ついでに死は瞬間などではなく、一連の流れだと言うことも漠然と感じ取っていたのだろうと思う。
そのため寝込みイコール「死」、食事に起きてこれないもまたしかり、こうした考え方がしっかり定着していて、極端に自分が寝込んでいる姿に対する恐怖心と言うか抵抗感がある。
だから食事には例え一口しか食べられなくても、映画「リング」の貞子のように、廊下を這ってでも必ず家族の前に顔を出し、本当は寝込んでいても、「眠たくて寝ている」と人には言う。
多分小学校4年生くらいの時だっただろうか、12月初旬の良い天気の日だったが、学校から帰った私と近所の悪がきどもは、川へ魚を捕りに行っていて、ついでに天気も良かったので、冷たい川で泳いでしまったことがあったが、それから家へ帰ってさあ大変、高熱が出てしまい、このときはさすがに起きようと思っても起きれなくなり、下痢で用を足すのに、やっとの思いで這ってトイレまで行く私を見かけた母親が、「情けないことになったものだ・・・」と呟き、子供ながらに「これはまずい」と思ったものだ。
これは「死にたくない」とか「生きていたい」と言う、そんな高尚なものではない、何となく母親から「こいつも、もうだめだな」と思われているのではないか、そして家を片付け始めるのではないか・・・と言う恐怖心からだったが、結局私は赤痢になっていて、その後病院へ強制的に入院、そして家族もみんな検査を受け、家は保健所の職員が来て消毒していったらしかったが、病院から開放され家に帰された私を待っていたものは、「このバカが」と言う母親の軽いゲンコツだった。
※ この記事は2009年に執筆されたものを再掲載しています。