「市民と平等」・2

自由とは何か、これは難しい。
だがこうした言葉に統一性を持たせ、それを共通の概念として語ろうとしたとき起こってくるもの、それが「平等」と言う概念であり、結果として自由を規制する形のこの考えは「市民」思想から来る自由の均一化思想である。
そしてこうした中から発生してくるものが共産主義、社会主義であり、第二次世界大戦前後に起こってくるロシア革命、中国共産党の出現は、ある種こうしたフランス革命の流れを引き継ぎ、それを上塗りしたものと言えるだろう。

ここではその形骸化されたイデオロギー、体制が重視され、そのためにフランス革命後と同じような、またしても「市民」または「同志」でも良いだろうが、そうしたものの支配が恐怖政治を生み、やはりナポレオンと同じような独裁国家を発生させるのである。

そして1989年、この年はある意味歴史をそれまでとそれからに分かつ、分岐点となった。
5月にはソビエト連邦のゴルバチョフが初代最高会議議長に就任、ここにソビエトは社会主義思想を完全否定し、同年6月4日には第2天安門事件が中国で発生、学生を中心に民主化要求が激化する。
この天安門事件は結局鄧小平にとって軍事的に鎮圧されたものの、同じ鄧小平によって進められてきた中国の開放政策の今日の現状を鑑みるに、既に中国における共産主義はこの天安門事件以降、実質は形骸化し消滅に向かったといわざるを得ない。

現在中国に残る共産党と言う言葉は、そのイデオロギーの根拠を失って名目しか残っていない。
中国は既に経済至上主義国家なのである。
こうしたことを考えると、14世紀に始まった世界市民の思想は、フランス革命で形を成し、そしてこの流れの中にあった20世紀の社会主義革命は平等至上主義的革命となったが、これはフランス革命を乗り越えたのではない、実はこうしたソビエトや中国の革命が終了した1989年、この年を以ってフランス革命はそれを成就したのであって、ここに「市民」思想の終焉を迎えたのである。

人類史を数百年の単位で大観するなら、人類はこの200年、フランス革命に始まって、フランス革命で終わったことになる。
そしてこうした広義でフランス革命後の歴史はあるのか・・・、と言えば、それは無いのであって、おそらく人類史はこうした広義のフランス革命の完成をして、その成すべき事業を終えたのではないか・・・と思うのである。

結果として「市民」思想は経済の社会にあって、イデオロギーの中にあったのではないことは、社会主義国家ソビエトが経済的破綻で、それを放棄したことからも分かるが、もはや経済は「市民」をその中に包括しなくて良い、つまり経済社会が国家と同一性を深めていると言うことであり、そのことが現在の国際社会に見られる社会主義的傾向に現れているのである。

14世紀に始まった市民思想、それはフランス革命によって形に見えるようになった。
しかし市民思想は一つの完成を見てしまった、つまり人類にはこの思想がもはや追いつかない一つの理想でしかないことが分かったのである。
ゆえにここで言えることは少なくとも「平等」と言う言葉は存在しても、その概念は定めることが出来ない、そしてそれはこの世に存在できない・・・と言うことではなかろうか。

経済社会は市民を生み出した、しかしやがて経済はその市民を超えて大きくなり、いまや国家をもその中に包括しつつあるとき、この先に見えるものは風船のように膨らんで行く経済世界であり、資源の大量消費、環境破壊までもが、国家と結びついた経済によって容認される社会、それはまるで坂道を転げ堕ちるが如くの破滅への予感ではないだろうか・・・。