「死者の時代」

少なくとも1980年代まではこうしたことが論じられる機会はなかったが、1990年代に入って何故か日本人は「死」について考える機会が増えていったように思える。
バブル崩壊によって引きこされた価値観の崩壊、或いはその空虚化は、価値の相対化と世紀末、終末観や生命、性、文化、社会観に、価値転倒的な影響を与えて行ったように思えてならない。
そしてこうした傾向は、ごく自然に日本人の死生観についても変化を及ぼして行ったが、しかしこの新しい死生観はどこかで矛盾をはらんだものであり、ある種の歪みが全く考察されることなく、その上に構築されたもののような危うさと、現実と非現実が同時レベルで語られるような、不可思議な傾向があった。

 

例えば霊的、神秘的なことは信じているし、身近な人の死を体験していると言いながら、その実臨終のその場面には立ち会っていない、また老いることや死ぬことを不浄視しているにも拘らず、死後の世界や生まれ変わりを信じていたり、抽象的な「死」に対して憧憬してみたりと言う具合で、終末観を予感する一方でエイズを妙に深刻に受け止めてみたり、脳死問題に異常に敏感だったりと、全く相反する課題を同時に内在した「死ブーム」が1993年から1994年にかけて日本を席捲する。

 

こうした傾向は当時のマルチメディアにおいてはもっと顕著なものになって現れ、輪廻転生を主題にした少女漫画「ぼくの地球を守って」や、同じ主旨を精神医学的に表現した「前世療法」、死とクローンを扱ったSF「サイティーン」、延命技術を解説した「不死テクノロジー」などがベストセラーになり、今でも一部で愛読者がいると言われる「完全自殺マニュアル」や、「ザ・暗殺術」などは死ぬための本だったが、これもベストセラーになった。

 

またこうした頃から少しずつブームになっていたが、死後の世界を案内する「チベット死者の書」はベストセラーの上にロングセラーになり、これに便乗したNHKが制作した「チベット死者の書・仏典に秘められた死と転生」は大変な反響を引き起こすが、この影響だろうか、エンバーミングが注目され始めてくる。
エンバーミングとは、遺体を防腐処理して生前の元気な状態に見せる技術を言うが、片方でこうした傾向がありながら、もう一方でこの時期から流行してくるものに、遺骨や遺灰を海や山にまく「散骨」希望者も殺到してくる。

 

死体の保存、そして散骨、この両者は対極的なものがあるが、しかしどうだろうか「死」に対する執着と言う点では同じものだ。
いつまでも体を保ちたいと言う心と、およそ他人にとっては廃棄物にしかならない自分の遺骨や遺灰を、大地や海にと言う発想は、どこかで同じような歴史的背景を持たない安易さが感じられた。

 

更に「死」はこうした経緯を得て、同じように安楽死や尊厳死の立場からも考えられるようになり、葬儀に対する考え方や意味、遺族がその死に対してどう向き合うか、と言ったことにまで広がり、あちこちでこうしたことを話し合う集会が開かれ、凄いものでは「葬式はどうあるべきか」と題された研究会や勉強会、公演まで開かれるようになって行った。
「死」をテーマにした演劇が現れ、新聞がやはり「死」をテーマにした特集を組んだり、それがシリーズ化されたりもした。

 

だがこうした「死」に対する関心は、これまでも歴史的に社会が変遷する時には、幾度となく起こってきていた現象であり、例えば釈迦入滅後の最初の1000年は「正法の時代」と言って、釈迦の教えが正しく修行者に伝わり、悟りを得られる時代とされ、次の1000年が「像法の時代」と言われ、釈迦の教えも生きていて修行も行われるが、悟りが得られない時代となっているが、この2000年後の1万年間は「末法の時代」となっている。

 

つまり教えは残るが、修行して悟る者がいなくなり、世は闇となる時代のことを指すが、1052年(永承7年)奈良の長谷寺が消失し、これから災害や戦乱が続発して来る。
これを見た識者達はこれを末法の始まりとして予見し、この年を末法第1年目としたのであり、世の中は末法意識が大いに高まって、こうした末法を救う教えとして阿弥陀仏の極楽浄土に往生して、そこで成仏することを説いた浄土思想が花開いて来るのである。

 

藤原頼通が宇治の自分の別荘を改造して「平等院」とし、阿弥陀堂(鳳凰堂)の造営を始めたのはこの末法第1年目のことであり、親鸞や法然と言った鎌倉新興仏教の開祖たちは、こうした末法ブームに対する危機意識を契機に、末法に見合った教えのあり方、民衆が求めるその救いのあり方を説き、仏教の改革を断行して行ったのである。

 

1993年は日本にとってあらゆる意味で大きな転機となっていた。
がん告知の問題、脳死、臓器移植、そしてHIVなど、これまでは避けられてきた現実が噴出し、深刻な社会問題となり、その上にバブル崩壊、自民党政権の崩壊と、あらゆる事の価値観が崩壊し、新しい価値観を生み出すまでの混乱期となっていて、そうした背景から「死」に対するタブーもまた一挙に失われていった面がある。

 

その結果が「死」のブームだったのだが、結局2010年を考えると、どうも日本はこの時期の歪んだままの状態の上に、現在を構築し続けて来たような思いがする。
すなわち死と言う生きている者にとっては、どこまで行っても知りようのない漠然としたものの上に、理論的な手法を載せて理論を展開するそのあり様は、今日の社会のあり方そのもののように見えるのだが、およそ人の世とは常にこうしたものだったか・・・・。
そしてもしかしたら、私もこうしたところで彷徨っているのか・・・・。
※ 本文は2010年に執筆されたものを再掲載しています。