1・「老占い師の怪」

或る街角の商店街のはずれ、ここに二尺(60cm)ばかりの机に数種の占木を並べ、客を待っている初老の占い師の姿があった。
両の手を広い袖の中にしまい、遠くを眺めるその姿はいかにも只者ではない様相だったが、白い髭をたくわえたその口元からは、なにやら聞いたことのない呪文のようなものすら聞こえて来そうな感じがしている。
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そこへやってきたのはつい最近付き合い始めた程ほどに若いカップル、とにかく一時も離れたくないらしく、腕を組んだかと思えば今度は手を繋ぎ、また女が男の腕にぶら下がったりと、まさしく幸せとはこうしたことだと言わんばかりの有り様、さしも世界は2人のためにこそ在れか・・・。
「ねえ、ねえ、あの人占い師じゃない」
「ほんとだ、そうだね」
「ねえ、ねえ、私達のこと観て貰おうよ」
「そうだね」
「私達、子供何人できてるのかな・・・、それにどんな所に住んでるのかな、きっと幸せになれるよね」
「そんなの、勿論じゃないか」
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そして老占い師はカップルが近づき、そこに影ができて視界が少し光のトーンを落としたのを感じると、僅かに半眼だった目を空け、両手を袖から出すとカップルに話しかける。
「何を観て進ぜようかな」
「あのー、私達幸せになれるかどうか見て欲しいんですけど」
「ほおー、それは私が観ずとももはや決まっているようにも思うが、先の世界とは今の連続のものじゃ、従って今幸せな者にとっては先の世界での不幸せなど意味のないものじゃが、それでも占ってみるか・・・」
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老占い師の言葉にすっかり気を良くしたカップル、二人揃って首を立てに振ると、占い師はそれぞれから生年月日と、生まれた場所を聞き、それからおもむろに、漢字や数字が書かれた細長い15cm程の木の札を縦横に何本も並べ始める。
やがて机の上は木の札だらけになって、そこに占い師はまた札を積み上げて行ったが、その時、何を思ったか急に占い師の手が止まる。
「こ、これは・・・」
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明らかに占い師の顔には狼狽した表情が現れ、その手は小刻みに震えているようにも見えた。
また額からはそう暑くもないのに、汗が一筋流れ落ち、あたりの空気が一瞬止まった様に見えた。
「そんな馬鹿な」、老占い師は慌てて今まで積み上げた札を元に戻すと、もう一度初めと同じようにして札を並べ始める、がしかしやはりさっきと同じように机の上に札が並び、そこへさらに札を積み上げようとするところで、またも手が止まってしまった。
「そんなことが・・・・」
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「どうしたんですか、私達に何か起こるんですか」
明らかに様子のおかしい占い師の有り様を見て、不安そうに占い師を覗き込む女、しかし占い師はそんな彼女すらも目に入っていないようで、さらに札を崩すと、もう一度初めから同じことを繰り返すも、やはり札を積み上げるところで同じような結果が待っているのだった。
占い師の目は宙を泳ぎ、その手は激しく震えていた。
「こ、こんな馬鹿なことが・・・、皆、先がないと言うことか・・・」
「どうしたんですか、私達どうなっちゃううんですか」
女はついに泣きそうになり、その肩を優しく抱く彼氏、しかし占い師は黙ったまま真っ青な顔になったかと思うと、次の瞬間全ての道具を風呂敷に包み始め、机もたたんで左手に持ってこう言う・・・。
「済まんが、今日は店じまいじゃ」
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「えー、そんな、私達どうなっちゃうの、私達・・・」
ついに女の目からは涙が流れ始め、責めるように占い師をにらみ付ける。
「ホントですよ、ちょっとひどくないすか」
女の肩を抱きながら男も占い師を睨む。
しかし占い師はそんな二人には見向きもせず、足早にその場を立ち去ってしまった。
太陽がいつも以上にギラギラ感じる真昼の日曜日のことだった。
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1923年9月1日、この日は本当に蒸し暑い日で、とある料亭ではそこに勤める若い女給達が仕事前だったこともあり、2階客室の窓を開け、そこに腰掛けてうちわで涼を取っていたが、それでも暑さは何等おさまることがなく、こうしたことから誰がはじめるともなく、みんな着物の上をはだけて上半身裸になって涼んでいた。
そこへ下から上がってきた女将、若い娘達のこのあられもない姿を見て一言、「そんな格好していると、急に人が来たら間に合わないわよ」とたしなめるが、この1時間後には人ではなく、関東大震災が彼女達を急襲している。
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※ 本文は2010年5月3日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。