吉田光由(よしだ・みつよし・1598年~1672年)が著した「塵劫記」(じんこうき)と言う書物、これは珠算の本だったが、その中に「ネズミ算」と言う話が出てくる。
正月にネズミの父母が子供を12匹つくると、これで合計ネズミは14匹になり、2月にはこの親も子も対になって12匹の子供をつくると、この段階でネズミは合計98匹になるが、こうして毎月このネズミたちがそれぞれ対になって、12匹づつ子供を作って行けば1年でネズミの数は何匹になるか・・・。
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その答えは「276億8257万4402匹なり・・・」と「塵劫記」には記されているが、この計算は比較的簡単なもので、最初に2匹から始まるネズミの数は、毎月7倍になって行くことから、2に7を12回かければこの答えは得られる・・・。
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「まっ、そう言う訳だから、貴女もここらで少し趣味でも持ったほうが良いのではないかと思ったのよ」
「はあ・・・、でも私にそんなことができるかしらね・・・」
「何言ってるの、これから下の子供だってお金はかかるんだから、大学なんか行くって言ったら大変よ」
「そうだけど、私が人に何か教えることなんてできるかな」
「簡単よ、それに貴女が生徒を増やせば、その生徒がまた生徒を増やして行って、そこからの収入はどんどん知らない間に増えて行くのよ、趣味と実益を兼ねた本当に良い話だと思うよ」
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聞くつもりはなかったが、客間で妻が子供と同級生の女の子の母親と話しているのを、隣の部屋でテレビを観ていて小耳に挟んでしまった私は、思わず乗り込んで、追い返してやろうと言う衝動を抑えるのに必死だった。
「バカヤロー、それは無限連鎖講だ、そんなものに騙されたらとんでもないことになるぞ、何をやってるんだ、そんなものを早く追い返せ」
私はテレビの音量を少し落として、聞き耳を立てていたが、これ以上聞いていると心臓が爆発するのではないか、そう思って気晴らしに外に出た。
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やがて1時間程した頃だろうか、くだんの母親らしき人物が真っ赤な車で家から出て行くのを見かけた私は、慌てて家へ駆け込むと、妻に先ほどの話は悪質商法ではなかったのか・・・、とそれとなく聞いてみるが、それに対する妻の返事は意外なものだった。
「お花の教室の話よ」
「でも案外、悪質商法かもね・・・」
妻はさほどのこともなげに答える。
結局しつこいお友達関係を嫌う妻としては断ったものの、私が悪質商法だと思って聞いていた話は、実際はお花の教室へ入らないかと言う話だったらしい。
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私はひとまずホッと肩の力が抜けたが、でもよくよく考えてみると、この世界に無限連鎖以外の商法など、もしかしたら存在しないような気もしてしまう。
茶道、華道などの家元制も基本的な仕組みは無限連鎖思想であり、それ故言う人に言わせれば日本最初の伝統的無限連鎖講と言う話が出るのであり、これは商売、つまり資本主義の仕組みが「拡大」であることを考えれば避けられないことなのかも知れない。
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物を売ると言うことの本質が、その事業を継続することが目的であるとするなら、そこにあるものは仮定としてではなく、基礎的な面で永遠、しかも常に売り続けることが自明の理となっているが、それは初めから存在しないものである。
つまり仮定でしかないものを基本にして事業が行われることから、そこには初めから矛盾が付きまとう。
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また客や消費者の利益などと言いながら、その本質も事業者の利益のためであることは衆目の知るところであり、それらは消費者の許容や、もしくは言い方は悪いが消費者を何らかの方法で騙すことによって達成されていることも事実だ。
つまりはどんな製品であれサービスであれ、利益が出る分は最低でも消費者を騙していることになるが、これが国民相互、世界的に行なわれているため、相互が文句を言わない仕組みが経済と言うものだと言えるかも知れない。
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だからいつの時代も必ず発生してくるのが無限連鎖思想であり、これは経済の仕組みを原理主義的に見る者、良く考えるものほど無限連鎖思想と一般事業思想の区別が存在しないことに気がつき易いからである。
政治や思想同様、やはり人間の考えることはどこかで大きな矛盾をはらんでいて、それは経済も同じことだ。
皆が利益を出すことは不可能なことにも関らず、それがあるように思われる、そして永遠に右肩上がりが前提となっている仕組みは、まさに無限に消費者が存在することになってしまう無限連鎖的発想である。
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無限連鎖と一般事業、この差はどこにあるかと言うと、例えばネズミ算で言えば、ネズミが子供を作るのを永遠にやろうとするか、三世代ぐらいで止めるかの差、子供を12匹生むか、2匹生むかの差と言うことになろうか。
つまりその程度の差でしかないのであり、またその伝播の仕方が会員などを使うか、コマーシャルで行うか、それとも製品そのもので行うかの違いと言うことができるが、口コミなどはかなり無限連鎖的要素が強く、インターネットなどは、まさしく速度の速い無限連鎖そのものと言うべき性質を持っている。
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このことは何を意味しているか、つまり資本主義が常に「拡大」にあるなら、その行き着く先は間違いのない「破綻」であり、そのサイクル速度はインターネットやそれを使った取引などにより、従来では考えられない程早くなって来ていると言うことだ。
この3年、世界経済は100年に1度の事態を既に3回は経験している。
アメリカ、ドバイ、ポルトガル、ギリシャの経済破綻、そして20年前には日本のバブル崩壊とソビエトの崩壊、その10年前にはメキシコやブラジル、と言う具合に経済的破綻が発生してきている。
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1929年、ニューヨーク・ウォール街発の大恐慌以来、少なくとも世界は50年間、それほど大きな経済の混乱を経験しなかったが、この30年間では幾つもの経済的破綻を経験し、更にここ3年では大恐慌並みの経済的危機に見舞われ、今もまだその不安は拡大しつつある。
この拡大と破綻のサイクルの速さ、その背景を考えるなら、一番の理由は通信速度の高速化、情報伝達速度の異常なほどの高速化と大衆化である。
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そして情報化社会は破綻速度も速めるが、また一方でその回復速度も速める。
しかしこの方向は国際社会、経済の更なる不安定化をも促進していることを、我々は覚悟しておかなければならないだろう・・・。
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ちなみに吉田光由はネズミ算を「数の遊び」として紹介していることも付け加えておこうか・・・・。