「三次元性意識地図」

例えばサルの世界でも、成熟した個体はその所属した家族の群れからは離脱していく、若しくは群れからの追い出しにあって、結果として近親相姦を忌避する仕組みが存在している。
ゆえに動物の世界では近親相姦の掟を厳格に遵守しているのだが、実はこの戒めを最も破り続けてきたのが人間社会である。
神話の初めに、聖書の冒頭から存在する近親婚は、実は人間の精神の中でしか存在し得ない、最も初期の社会関係、人間関係破壊の「性」の「拡張」となる。
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だがこの「性」の拡張は時代によっては許容されたり、容認されたりする歴史を持っており、即ちここでも人間の「性」は本来自然界の持つ掟や整合性を超えた、社会性に左右されていることが、つまり男女と言う関係はイメージであることが証明されるが、種族維持、血統の維持が目的となれば、過去の人類の歴史はそれを容認した。
例えば聖書、「創世記」第19章第31節にはロトの娘達の話が出て来るが、完全に孤立し、そしてもはや男性と出会うチャンスを失った姉は父親のロトに酒を飲ませ、そして交わり、それを妹にも勧めて子供を産む話が出てくる。
更に古代エジプト王朝では兄弟姉妹、親子関係でしか結婚が許されていなかった。
そのために有名なツタンカーメンの墓から見つかった、彼の妹と目される女の子の亡骸に関して、その手の指は異常に長く、明らかに近親婚による奇形が見て取れる。
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また日本でも積極的容認はしないまでも、戦国時代には城の中と言う、限定された環境で血統を守る意味から母子姦、兄弟姉妹姦による子孫継承が行われた経緯があり、これは上から下まで、「家」制度を守る為に極秘裏に行われ、周囲もこれを黙認してきた歴史があるが、これらはいずれも社会環境がプレッシャーを与えて、つまりジェンダーとは別の意味の社会的「性」が、個人のモラルをハザードさせた結果発生したものだった。
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そして人間の脳は男女をどう考えているか・・・、実は生殖的区分と言うものと、脳が概念する男女は一致していない。
つまり脳の中では男女いずれもが存在し、そのより多くを占める概念が「性」を決定している。
つまり人間の脳が感じる男女は、同じ人体であっても男女が厳密に決定されておらず、濃度的な差異で男女が概念されている。
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脳が男女を分化する過程は2つあり、その1つは生物的分化、つまり生物の基本的な仕組みによる分化がまず存在する。
更にこれが重大なのだが、生物的分化が終わると、今度は「文化的性差」の形成が始まり、これは連続して発生してくることから、生物的分化もまた「文化的性差」の構築に影響している、そんな性質のものである。
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生物的分化は、視床下部に集中している性欲中枢に形態的な変化を及ぼすが、「文化的性差」は言わば概念的な三次元性意識地図とも言うべきもので、これは簡単に言えば「刷り込み」のようなものである。
胎生4ヶ月ごろからDNA「デオキシリボ核酸」によって作られ、胎児の性腺から分泌される性ホルモン、これによって性分化の度合いに飾りがつけられるが、ここで取り分け性差の激しい部分が、性欲中枢の1つである「性的二型核」と呼ばれる神経核で、これは男の場合が女の2倍にもなり、基本的にはネズミでもこれは同じである。
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このような生物的な脳の性分化は、たとえばネズミなどではすでに生まれる前から決定されている。
即ちこれから考えられることは、下等な哺乳類では、性差は生物的分化によってそのほとんどが決定されるが、人間の場合はこうは行かない。
人間では生まれてから4歳ぐらいまでに、やっと生物的性差の形が完成し、しかもここでは乳幼児期の成育環境が影響を及ぼし、文化的な原因が生物的な脳の性分化に影響を与えるのである。
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またこうして4歳ぐらいまでの幼児期に生物的性差の変化を終えた人間の脳は、今度は更に4年間の歳月をかけて本格的な「三次元性意識地図」、いわゆる「性的刷り込み」期間を迎えるのだが、こうした過程で起こってくるのが4、5歳くらいの子供の、「お医者さんごっこ」などである。
これは大人から見ると、何とも形容し難いが、実は「性差シュミレーション」を脳が行っているからである。
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それゆえこうしたことは子供の性心理発達、根源的には脳の発達の為には不可欠な要素なのだが、極度に安定し生活水準が向上している社会では、子供のこうした行為を抑圧したり、制止しようとする傾向が現れ、このことから性的抑圧を受けた子供の「三次元性意識地図」は破壊され、これが原因で将来的には異常性愛、異常性嗜好癖の温床ともなっていく。
また同じようにこの時期に性的虐待を受けると、これもまた「三次元性意識地図」が大きく破壊され、そこから将来においてまた虐待を受けた本人が、性的虐待の加害者ともなっていく可能性が出て来るのである。
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脳の性分化、つまり脳が意識する男女と言うものは、男なら男の要素しか入っていないのではなく、女だからと言って女の要素しか存在していないと言うものではない。
男の部分と女の部分が複雑に絡み合った朧げな景色、言わばモザイクのような模様で、かろうじて男、かろうじて女の瞬間が多くなっている、そうした状態をして「自分は男だ」、「私は女よ」と意識している、そしてその意識が男女を区別する最大の要素となっているのである。
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