「地下足袋」・2

そしてこの翌年、大正13年(1924年)、正二郎が好評だったアサヒ地下足袋の生産を倍増する計画を立てていたときのことだった。 何と、筑後川畔にあった工場、その大半を火事で焼失してしまう。 普通ならこれで意気消沈してしまい...