| 「おーい・・・、石鹸はどこだ」洗面所で顔を洗おうとしていた吉田喜平さん(仮名)は妻のふみさん(仮名)を呼ぶが、ふみさんもやはり首をかしげるばかりだった。
「どうしてこうも毎回石鹸が無くなるんだ」 「何となくいつも2の付く日に石鹸が無くなっているんじゃないか・・・」と言うのだ・・・、言われてみれば確かに今日は11月12日、「加代子はもうこの世におらんのかも知れんな・・・」喜平さんの母親はうつむいて呟いた。喜平さんには加代子(仮名)と言う娘がいたが、どちらかと言えば外交的で派手好みの加代子さんと喜平さんの母親、つまり加代子さんにとっては祖母になるが、2人は普段から折り合いが悪く、加代子さんは行儀作法にうるさい祖母に対し、とても反抗的だった。 当事加代子さんは高校1年生だったが、よからぬ男との付き合いが始まり、学校から指導は受けるは、夜遊びで帰宅時間が遅いはで、ある日ついに朝帰りした加代子さんに激怒した祖母は「あんたのような子は家の恥だ・・」とまで言ってしまう。 翌日加代子さんは家出・・・、八王子の伊藤と言う家でお手伝いとして住み込みで働くことになったのだが、ここまではこの伊藤家の人が気遣ってくれて喜平さんたちに居場所を連絡してくれていて、気が変わったらまた高校へ復帰できるように・・・と言ってもくれていた。 そしてここから先は、捜索願に基づいて捜査した刑事が調べた加代子さんの足取りになるが、その後加代子さんは男と遊びに行っていたバーでホステスとして働いていたが、この店で働いていたのは7ヶ月、結局加代子さんはこの店の支配人と関係ができてしまい、この支配人の内縁の妻が同じ店でホステスをしていたことから、関係がばれて店を追い出されてしまったらしかった。 それからの加代子さんの行動は随分華々しいものだが、立川の繁華街にあるバーでまたホステスとして働いていて、ここでは約3ヶ月しかいなかった割には人気があったと言うことだった。 その後、新宿花園町にあるアパートを借りた加代子さんは、新宿のバーでホステスとして勤務し始めるが、「彼女は若かったけれど、彼女に付いている客は多かったですね・・・、日野、八王子、立川方面からきたと言う客が多かった・・・」と店のバーテンやホステスが語っている。 そしてその年の12月12日のことだが、加代子さんは午後3時過ぎ、銭湯に出かけ、4時には帰ってきていたが、それから身支度を整えると、4時30分にはアパートを出て少し早いがいったんバーに顔を出した。 それから1年後の12月12日、ちょうど喜平さんの母親が「2の付く日に・・・」と言っていた日から1ヵ月後のことだったが、朝食を終えて畑仕事に出た喜平さんは近くの丘陵地で土地の造成作業が始まったことを知り、同じように畑仕事に来ている近所の男性と話をしていたが、その作業現場で何か起ったらしく、急に騒がしくなったことに気づいた。 野良犬が盛んに吠え立て、あたりは騒然となっていたが、喜平さんたちはその中でヘルメットをかぶった作業員に声をかけた。「何の騒ぎですかの」そう問いかけると、「死体が出てきたんだよ、それも若い女の死体が・・・」その作業員は警察に連絡するんだと言って、息を弾ませながら駆け出していった。 警察ではこの死体を鑑識に回したが、水で表面の泥をを除いた検証医は腰を抜かした。 この死体は加代子さんに間違いはなかった。 |
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