| 平安の頃、京都で家を建てるときの基準は、「夏の暑きはいと悪し・・・」とあることから、夏の暑さに対応したものだったようだが、金沢の夏もこれはこれで暑い・・・。卯辰山(うたつやま)に通じるこうした坂道はとても急で、その周囲にはかなりの樹齢の木がうっそうと生い茂り、風もないので、梅雨もさなかの7月初旬、少し晴れ間でも出ようものなら、裸になって走ってしまいたいほどの暑さである。
できるだけ影を選んで歩くのだが、地面から陽炎が立ち、あゆみを止めて腰を伸ばすと軽いめまいに襲われるが、その脇をなぜか結構な年齢の女性が、まるで少女のような可愛らしいフリルの付いた白いワンピースを着て、しかも黄色い長靴と言ういでたちで、犬を散歩させながら、追い越していく・・・、これはこれで、車の通行も少なく喧しい蝉の鳴き声と暑さ、また果てしなく続くのではないかと思うこの坂道にあっては、非常にそぐわしいようであり、また何か異常なようでもある。 訪ねた家はその坂道の中ほどにあるのだが、おかしなものだ・・・、その昔駆け出しの頃もよくここへは来ていたのだが、その時はなぜかぎっしり実が詰まったような、独特の重さが感じられたこの町も、今はなぜかスカスカな感じがして、少し儚い雰囲気を感じてしまう。 出迎えてくれたのはこの家の奥さんだったが、既に70歳を超えて、ご亭主と2人暮らし、2人いた男の子はそれぞれ東京と茨木で家庭を持っている。 「おー・・・、上らんか」ご亭主は嬉しそうに言うと、先に立って狭い廊下を居間へ向かって歩き始めた。 この夫婦は私が仕事で独立した当初からのクライアントだったが、ご亭主は厳しい人で、よく怒られたものだ、「お前みたいなものが仕事を受ける資格はない、人の迷惑になるだけや・・・」、この言葉は何度言われたことだろう。 よく仕事には自分が出ると言われるが、そうした意味では初期の私の仕事は恨み満載の仕事で、それがどこかで現れていたに違いないが、結果として今日の自分があるのはこうした厳しい人達のおかげだった。 だが過ぎた日の、厳しかった人たちも年老いて第一線から身を引き、自分がその年代になってみると、全く彼らの領域に達していないことに気がつく・・・、そして彼らの中で1人、また1人とこの世を去っていく、またはこうして病魔にむしばまれる者が出るにつけ、そこを訪れるが、泣いてすがりつきたくなるのを抑えるのに必死になる。 もう10年近く一緒に仕事をしたことはなかったが、金沢を訪れるたびに立ち寄っていたこの家でも、こうしてご亭主が脳梗塞になってしまっていた。 「仕事はどうだ・・・、忙しいか」 酢の味と蓮根の風味がとても良くて、そこに小豆羊羹の甘味が加わり、何とも言えない美味しさがあり、とても金沢らしい味がするのである。 結局お昼ご飯まで頂いて、2時間も予定をオーバーしてしまった私は、午後1時過ぎに帰途についたのだが、懐かしさとともに、何か自分が帰ることができないところまで来てしまっているような、そんな気になった。 |