「民事再生法の適用」

「さすがは奥様、お目が高いですね、これは良いものでして、奥様に・・と思ってお持ちいたしました」唇の薄い、いかにも軽薄を絵に描いたような○△デパート外商部員は、いくら若作りとは言え、既に限界点で40代に留まっている老舗菓子店の女将に、人目に付く場に置くことさえはばかられるような派手な下着を勧めていた。
「あーら、そうかしら・・・それいただいて置くわ、いくらなの」
「まあ、奥様くらいのお立場でしたら、このくらいの価格は本当は失礼かとは思ったのですが、ほんの5万円になっております」
「本当ね、ちょっとリーズナブル過ぎるわね・・・いいわ一週間分・・そうね10枚買うわ」
「ありがとうございます」外商部員は後ろで舌を出していたが、これで50万円の売り上げ・・・満面の笑顔で玄関を出て行った。

夜になって、いつも不機嫌なのだが、それにも増して今夜は一段と精彩を欠いた夫が、食事中ぼつっとつぶやいた「もう・・・ダメかも知れない・・・」
「えっ、ちょっとそれはどういう事なの」
女将はこの老舗菓子店の社長でもある亭主を問い詰める・・・話はこうだ・・・。

200年も続いた菓子店・・・だが、長引く景気の低迷に毎年売り上げが伸び悩み、おまけに数年前に建て替えた本店ビルは、いくつかのフロアーを貸して収益を図ろうと思っていたが、賃貸料の高さから誰も借り手が無く、勢いに乗って各地に支店を出し、デパートにもフロアーを構えたが、こちらも経費倒れ・・・友人の勧めでゴルフ場の造成にまで手を出したのが命取りだった。
瞬く間に資金ショートを起こし、従業員の給料は遅れ、材料や支店の家賃も滞っていたが、決定的だったのは銀行の融資がストップしてしまったことだった。
商工会議所の副会頭までしていても、もはやその資金事情の悪さは衆目の知るところとなっていたのである。

負債総額60憶円・・・ついにこの菓子店は弁護士に相談し、直ちに会社更生法の手続きに入ろうとしたが、それに待ったをかけたのが商工会議所や△△県だった。
このように知名度があり、県を代表する老舗菓子店が倒産ではそのダメージが大きすぎる・・・間に入るから店は潰さない方向で検討して欲しい・・・こうした要望が表に出るに至って、地元出身者で他府県在住の菓子店ファンも声を上げ、その結果債権者に了解を取り、何とか菓子店を続けさせようと言う声があちこちで上がった。

会社更生法の申請は民事再生法の申請・・・つまり、借金はカットしてもらって店は続ける方向へと方針転換が図られたが、その表舞台に立ったのはこの女将だった。
日々送られてくる支援の声に奮起した女将は夫に代わって社長に就任し、周囲から集まった同情の声を涙ながらに訴え、これにより債権者の銀行は周囲の声を恐れ再生法に同意、お金を貰えなければ日々の生活にも事欠く仕入れ業者や材料提供業者は、最後まで再生法に反対したが、結局こちらも周囲の圧力で、支払いを受けることなく債権を放棄せざるを得なくなった。

それからの女将は凄かった・・・。テレビに出るわ地元新聞には出るわで、また菓子店再建にかける美人女将・・・と言うフレーズはマスメディアとしても美味しい存在だったことから、一躍有名人になっていった。
菓子店の業績は何せ60億円の借金が無くなった訳で、それ以降は全て利益になる仕組みから、瞬く間に回復していったが、こうした業績の改善を見越して、債権を放棄した以前からの取引業者からは、何故か大きな不満がささやかれ始めていた。

貸した金が戻ってこないばかりか、女将は調子が上向いてきたら、今度は支援してくれていた彼等のような、古くからの取引業者を店から締め出し始めたのである。
やがて女将は自身の菓子店再建の努力を語り、あちこちで講演活動まで始め、頑張る女性のカリスマ的存在になっていったが、この頃になると余りにも自己主張が強く、表裏があるこの女将をマスメディアも、もてあまし始めていた。

それでも女将はどんどん報道関係者を呼んでは新作の菓子の紹介、自身が手がける企画の売り込みをしていった・・・、そして次第に60憶円の借金は自分が何とかしたのだ・・・とその講演で語るようになり、取引を打ち切った業者から何か言われると「法律で、もうその話は終わったのよ」と突き放していった。

そしてこの老舗菓子店は、今日他の菓子店が借り入れで苦しんでいるのを他所に、多額の利益を上げていった。

女将の主張は正しい・・・、確かに民事再生法で債権を放棄した者に、以後は何かを支払う義務は無いし、取引を継続する義務も無いが、「商い」の基本は信用である。
借金をチャラにされたおかげで家を失い、路頭に迷ったものを尻目に、自分はその財産をしっかり守り派手な暮らしを続け、そしてそれは法律で守られたものだと言う・・・こんなことが道義的に許されるかどうかだが、せめて「すみません」の一言、僅かばかりでも、見舞金の一封でもの気持ちが、それこそ商いの道ではないだろうか。
そして現代社会は世界中で、これと同じことが行われている。

1990年、バブル経済が破綻したとき、この処理に税金を使って資本注入するのは今回限りの特別の処置だ・・・と日本政府は言ったが、どうだろうかアメリカ発の世界的大不況下で、税金を使った資本注入はもはや国際的な基本、マニュアル化してしまった。
その背景には大きな銀行が潰れたり、大企業が倒産すれば社会的なダメージが大きいから、ここは小さな正義やモラルには目をつぶって、実利を取りましょう・・・と言うことだろうが、食品偽装や不当表示が大手企業や老舗食品会社からも発生してきたのもバブルの後からだ。

大きな損失を防ぐ為に小さな正義を犠牲にしていくと、我々は気づかないうちに何かとんでもないことまでも容認してしまったり、見逃していくのではないだろうか、商いの基本は信用・・・と言う言葉が何か遠くなってきてるように思えてならない。