「その時日本は・・・」

1973年10月6日中東、この日エジプト軍がスエズ運河を渡り、ゴラン高原ではシリア軍の機甲部隊が轟音と共にイスラエルへ侵攻した。
第4次中東戦争の勃発だが、エジプトとシリアによって南北から挟み撃ちになったイスラエルは、三週間に及ぶ戦闘で苦戦を強いられたものの、一時は形成を逆転させスエズ運河を逆にエジプト軍を追う形となり、エジプトのカイロまで100キロの地点に進軍、ゴラン高原でもシリア軍を押し返し、首都ダマスカスに迫る勢いになる。

またアラブ諸国はエジプト、シリアの支援策として、イスラエルを支援しているアメリカに圧力を加えるため、イスラエルを支援、支持する国のすべてに対して、石油輸出を停止する「石油戦略」を発動する・・・、同年10月7日にはOAPEC「オペック、アラブ石油輸出国機構」の閣僚会議で石油産出削減が決議されていた。
これが第一次石油ショックへと繋がるのだが、結果としてエジプト、シリア軍はやがて再度イスラエルに対して反転攻勢を強めていく。

戦況がまた不利になってきたイスラエルは、占領地の一部返還という形で譲歩し、エジプトと停戦協定を結び、今度は和平交渉に入るが、その背景は4度にわたる戦争による両国の疲弊と、戦争のたびに活発化するパレスチナ難民問題があったからだ。
1977年、エジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問、翌年1978年にはアメリカ、キャンプ・デービッドでカーター、アメリカ合衆国大統領の仲介により、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が会談し、1979年3月26日、エジプトとイスラエルの平和条約が締結された。

この間に1947年に国連がイスラエルを認める決定をした「パレスチナ分割決議」は事実上の効力を失い、アラブ諸国の応援を得てパレスチナ解放機構(PLO)が成立していたが、1974年、国連がこれにオブザーバーの資格を付与する。
この背景はアラブ諸国が打ち出した「石油戦略」によって、アラブ諸国側につかざるを得なくなったアメリカ以外の加盟国と、孤立化したアメリカ、イスラエル…という図式が国連の中で出来上がっていたからである。

アラブ諸国はさらに1975年、ユダヤ人のエルサレム回帰運動、すなわち「シオニズム」をレイシズム(人種差別主義)であり、アラビア民族、アラビア人に対する差別思想並びに、差別行動であると非難し、1975年11月10日の国連総会は、この主張を採択し決議案の一文に加えたが、この時点からイスラエルは国連をアラブ寄りの組織である…と思い始めるのであり、2008年のパレスチナへの軍事攻撃の時も、国連の決議など全く無視する行動の原点は、こうした歴史的背景の結果なのである。

シオニズム主義に関しては別の機会に詳しく解説するが、その基本的な精神は「シオンの土地に帰ろう」・・というものであり、神がユダヤ人に与えたとするシオンの地に対する憧れと、信仰上の精神的な回帰思想のことであり、1975年の決議は、1991年12月の国連総会で、決議の撤回が採択され事実上削除されたが、こうした右へ左への対応はイスラエル、アラブ諸国双方からの不信を買う結果となっている。

そして1973年12月、日本ではこの中東戦争によって石油が入らなくなり、狂乱物価が発生・・・、トイレットペーパーが対前年比150%、砂糖も51%の値上げとなって、人々はスーパーなどの小売店に殺到するのであり、翌年1974年1月7日からは、電力節約のため民間テレビ放送局の深夜放送が中止された。
この狂乱物価はひとえに日本の認識不足がその要因なのだが、当時遠い中東で戦争が起こったからと言って、さほどのこともあるまい・・・と思っていたら、アメリカに追随していた日本はアラブの非友好国として、石油輸出量の削減措置を受けてしまったのである。

石油の90%を中東のイランとアラブ諸国から輸入していた日本は、絶望的な状態に追い込まれたのだが、この国家存亡の危機の最中、アメリカのキッシンジャー国務長官が日本を訪れる。
当時田中角栄首相と大平正芳外務大臣がこれを出迎えるが、その際キッシンジャーはアラブ諸国の石油輸出禁止政策に対して、日本が慎重な対応をするように・・・」と話している。
これはどう言う意味かと言うと、アラブから石油が入らないからと言って、イスラエルを見捨ててアラブ側に走るな・・・と言っているのだが、これに対して田中角栄首相が「もし中東から石油が全く手に入らなくなったら、アメリカがその分の石油を日本に提供してくれるのか」と尋ねるが、キッシンジャーは「それはできない」と答える。

この会談は日本、アメリカ双方が譲歩できず、結局物別れに終わったが、この会談の後、当時の二階堂官房長官は「日本の中東政策の大幅な修正」を口にしていることからも分かるように、これ以後日本の中東政策はアラブ寄りに変更されていった。
そうして日本はイスラエルの、占領地からの完全撤退を求め、これが実現されなければイスラエルとの関係の見直しを検討する・・・と声明を出す。

日本は石油燃料に依存している間は中東問題ではいつも苦渋の選択をさせられる…、が、それはまた一つの光明でもある。
日本はイスラエルとは良好な関係を継続しながら、パレスチナにも支援をしている。
このことはどう言うことかと言うと、宗教上の第三国である日本が、これからアラブ諸国に友好国を増やしていけば、いずれアメリカ以上に中東諸国の信頼を得やすいと言うことだ。
特に注目すべきはイランだ・・・、かの国は革命前から革命後もずっと石油を通じて経済的交流があった国であり、こうした背景から日本こそがイランとアメリカとの和平を調停できる、もっとも有力な国の一つでもあることを自覚すべきだ。

そしてこうしたイランとの関係強化を突破口にして、中東での親交を促進し、このことが結果としてアジア・イスラム諸国への発言力も高めることになるだろう。

力による正義、力による平和は真の正義や平和と為る事が出来ない・・・。