「君は誰だ」・3

リンカーン暗殺の実行犯ブースはこうして死亡したが、納屋から遺体が運び出される光景を、その近くの木に縛り付けられたまま見ていた南部同盟の共犯者ハロルドは、そのときこう叫んでいた。
「おい!、それはブースじゃない、ブースをどこへやったんだ」・・・、このハロルドの言葉から、それ以後もブースの生存説が残っていくのだが、そんなことはお構いなしにブースの遺体は4月27日、艦船モントーク号の甲板に毛布で包まれて置かれ、厳重な警備がつけられた。

しかしその夜、アメリカ秘密警察本部長ベイカー大佐と、その甥で先のブース射殺現場でも活動していたベイカー中尉の二人は、スタントン陸軍長官の指令だと言って、このブースの遺体を勝手に運び出してしまった。
またそのときの着衣や他の証拠もなぜか紛失したとして、ブースの遺体はスタントン司令官とベイカー大佐、同じくベイカー中尉しか知らないところに埋葬した・・・と後にブースの遺体搬送に関して追求されたスタントンは発表した。

これにはさすがにアメリカ国民も納得が行かず、リンカーン暗殺はスタントンではないのか・・・と言う話があちこちで起こってきたが、こうした批判に対しても、すでに南部の英雄とされているブースの遺体埋葬場所が知れると、南部住民たちの聖地にならないとも限らないので、そうした配慮から秘密埋葬にした・・・、と答え、これを聞いた民衆や、政府関係者でさえも唖然となったが、以後激しい国民の糾弾の声や非難に、ついにスタントンは陸軍司令官を辞任するしかなくなり、その後は病気になったとされている。
家から全く出ることもなくなり、やがて死亡したが、その死因は自殺とも言われている。

またラズボーン少佐、リンカーン夫人もその後気が狂って死亡、この暗殺事件では9人の共犯者がいたと言われているが、この中にはアメリカ初の女性処刑者となったメアリー・ラサットが含まれている。
ちなみにブースの死体埋葬場所だが、後に見つかったものの、すでにそれがブース本人かどうかが確認できる状況ではなく、ブースの日記についても、当初その存在すら否定していたスタントンだが、2年後に見つかったときには、リンカーンが暗殺された近辺の日付、24ページは破り取られていた。

そしてニューヨークでは不思議だが、大統領が暗殺される日の朝、つまり4月14日の朝刊に「大統領暗殺される」の見出しが躍っていたが、その記事の出所は不明のままだった。

現在でもホワイトハウスでは廊下を歩くリンカーンの姿を見る者がいると言うが、それはリンカーンが生きているときから、彼自身によっても目撃されていたようだ。
そしてこの暗殺事件ではまず、グラント将軍の行動、従者のフォーブスはなぜ犯人のブースを素通りさせたのか、またハンスコム氏のメモは結局大統領に渡っていないことをどう考えるか、スタントン司令官や、コンガー中佐、みなが怪しいことは事実だが、これらの調べれば分かりそうな部分がすべて曖昧なまま、この事件は解決がはかられている。

アメリカ合衆国大統領・・・、その地位で生きていること自体がすでに偉大な事なのかも知れない・・・。