「民主主義の表裏」

18世紀末、ドイツの哲学者カントは「永遠平和のために」に措いて、立法者が国民となる共和制は武力行使を抑止し、その基本原則は「法」による統治体制であることから、共和制が広く世界に広まることによって継続的な世界平和の道が開けると説いた。
そして1980年代アメリカ、この時期カントのこうした理論は、同国で再燃していくのだが、自由民主主義国家同士の関係においては戦争の発生は殆どなく、次いでこれを裏打ちするような統計的データが提示され始めてきたことから、「民主主義国家同士は戦争を起こさない」とする主題を中核とした、民主的平和論の研究、或いは議論が盛んになって行った。

だがもともとこうした考え方は、第一次世界大戦のときの合衆国大統領ウィルソン以来、民主主義の拡大を目指すアメリカ外交のイデオロギーに深く内在していたものであり、その流れは20世紀末のビル・クリントン大統領期には「関与と拡大」と言う、守りから消極的攻撃政策に発展し、次いで21世紀初頭のブッシュ政権では、イラク攻撃を見ても明白なように、完全に攻撃は最大の防御なりの政策に転じていった。

つまり戦争しないとされた民主主義が、それを守るために攻撃を始めて行ったのであり、その最も分かりやすい見解(これが見解と言えるのかどうかは疑問だが)が、テロリストによる攻撃は抑止不可能であるから、予防的にその脅威を除去する以外に選択の余地はないとした、ブッシュ・ドクトリンと言うものだった。

そしてこうした民主主義を守るための攻撃には、それを正当化しようとする意図から「抑止の為の介入」または「人道的介入」と言う言葉が使われたが、ではここで人道的介入とは何かと言うと・・・・。
さて・・・、今夜はその辺を考えてみようか・・・。

どこかの国で大規模な人権侵害が存在するとき、それを解消する為に「内政不干渉」の原則を侵して外部、つまり当事国以外の国がその国家に対して武力行動を起こした場合、これを「人道的介入」と言うが、国際法上、介入(interference)と干渉(intervention)は区別されていて、外部から強制的に行われる国家関与は干渉と呼ばれる。
だが、事実上介入と干渉は区別が難しく、およそ、他国に対し自国に介入して欲しいなどと言うケースは稀であり、またほんの僅かな国民を扇動して介入の機会を作るなどの行為があっても、これは立証がまことに困難なことになる。

日本ではこうした場合、殆ど人道的介入と言う言葉が使われるが、介入された国家にとっては殆どが「干渉」である場合が多くなる。
主権国家が外部からそれを干渉されてはならないとする「内政不干渉」は、主権国家体制をとっている現在の国際社会の基本原則だが、ではこれが絶対的なものかと言えばそうではない。
歴史的にも内政不干渉の原則には留保がつけられてきた経緯があり、主権の最終的根拠はその国の被治者(国民)の同意にあるとする近代政治の考え方からは、被治者に対して残虐行為を行う、もしくは被治者の保護機能を著しく損なう国家の主権は、その権利を制限し得ると言う理論は成立する。

つまり「内政不干渉」の原則は事実上「基本的人権」を超える権限ではないことがここに明白なわけだが、しかし問題は実際の運用面にあり、介入の正当性に関して中立的な立場の判定者が存在しない限り、大国の都合による介入となりかねない危うさを常に内包している。
またここ出てくる中立的な判定者だが、国連機関、常任理事国支配の組織では中立的立場に該当しない。

イスラエルのガザ地区攻撃時、これは明らかに国際法違反だが、ではこれに対して国連がしたことは「抗議声明」だけであり、片方で悪の枢軸とされたイラクには介入しても、同じように指定された北朝鮮がどれだけ批准を破っても、これには介入しない。
また中国における民族運動に対しても、どれだけ人権が侵されていても、それに非難すらしない状態では、既に国連は中立者たる資質を放棄していると思わざるを得ない。

そして第二次世界大戦以後、基本的人権に対する国際的な保障が重視されて来たことは事実だが、ではしかし、それが実際に担保されてきたかと言うと、内政不干渉や国家による武力行使の原則禁止が優先され、一般的に人道介入は否定され続けてきた。
しかし東西冷戦時代の終焉と共に発生してきた民族紛争、内戦で残虐非道な行為が行われ、それが映像を通して先進国に配信されるようなり、世界的に人道的介入を支持する機運が高まってきた。
こうした風にうまく乗って舞い上がったのが、伝統的に拡大思想のあるアメリカ、あのブッシュ政権だったのである。

イラク、ソマリア、コソボ、そしてアフガニスタンと、アメリカ主導で人道を理由とした強制行動が実行されてきた。
だが実際はどうだったのだろうか、イラク攻撃は宗教戦争にまで発展し、それが今ではアフガンや隣のパキスタンにまで波及してしまった。
果たして本当に人道的介入なるものがこの世に存在できるのだろうか。

国際法上は基本的人権が内政不干渉の原則より僅かに上にある、がしかし実際は本当に苦しむ民衆が虐げられ、そして人道的介入を名目にした帝国主義が静かに広がっているのではないだろうか。
民主主義は戦争を起こさない、そして平和を守るために戦う・・・、このこととただの侵略の差は侵略する側にしか存在しておらず、その実干渉や介入を受けた国家、いやその国の国民にとっては介入も侵略も差がないとしたら、民主主義とは何なのだろう。

そしてこうしたことは国家や政府だけの問題と思ったら大きな間違いであり、同じようなことは個人の私たちにも存在する。
自身の考えこそが正しいと信じ、これをして徒党を組んで他の少数の考え方を否定していく、またそれを攻撃し殲滅しようと思うなら、それもまた当初の目的が民主主義、平和であろうと、およそ平和でもなければ民主主義でもない、ただの独裁思想であり、帝国主義思想そのものでしかないのであり、その結末のもたらすものは、現在私たちの眼前に広がる世界情勢と何ら変ることのない「混沌」ではないだろうか・・・。