「上り列車」・2

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                             1998 3 10 撮影

そして私もこの女の子も同じ中学へ進学したが、彼女はその後益々存在が薄くなって行った。
学業には既に完全に付いて行けず、そんな彼女をクラスメートは誰一人相手しなくなって、先生ですら彼女に問題の回答などを指名することが無くなって行った。
当然部活などにも参加せず、それから彼女は全く誰とも口を利かなくなってしまったが、たまに喋っても蚊の鳴くような声で、後はただ笑って相槌を打つだけになった。
だがそんな彼女の偉いところは、こうした状況にも拘らず、ただの1日も学校を休んだことが無かったことだった。
毎日毎日、誰も話しかけず、また自分からも人に話しかけることも無く、彼女はそれでも学校へは通ってきていたのである。

やがて中学生生活も終わりに近づく3年生になれば高校受験があるが、私の時代は既に田舎からの集団就職の時代はもう過去のものになっていたが、それでも極端に学業が振るわない者は年に4、5人くらいはいて、彼ら彼女らは中卒で就職していったが、そうした場合の判断は担任の教師がそれを判断し、親にも伝えることになっていたようで、私の同級生でもやはり4、5人は中卒で就職していった。

片方で高校受験が終わり、めでたく高校進学が決まって喜んでいる級友がいる反面、そうした級友達の影で両親から見送りを受け、静かに電車に乗って都会へ旅立っていく者もまた、存在した訳で、彼ら彼女らは昨日までの制服姿から、一挙に慣れない背広や、ブラウス、そうしてコートを着込んで、駅で上りの電車を待っていたものだった。

おそらく3月も終わりごろだろうか、既に高校受験が終わり、合格して後は入学まで骨休め・・・と言う状況で、親戚から貰った入学祝いなどで懐も温かくなっていた私は、この際買いたかった本を全て買おうと思い、町へ出かけようとして汽車(実はディーゼル機関車だが)に乗るために駅へと自転車を走らせたが、そこには自分より先に何人かの乗客が汽車を待っていて、その中に何と白いコートに身を包んだくだんの同級生の女の子と、その両親が座っていたのだった。

彼女は相変わらず色白で、やはりいつもと同じように下を向いた感じで座っていたが、白いコートに春の日差しが反射して何か輝いているような、そしてこの間までの彼女ではなく、どこと無く大人びた感じがしたが、そんな彼女に私は声をかけることも出来ずにいると、家の母親とも仲の良い彼女の母親が、私に声をかけた。
「どこへ行くんや」
私は町まで買い物に行くと答え、そして彼女の母親に、みんな揃ってどこへ行くのかと逆に聞き返したが、ここで初めて私は彼女が就職で、今から京都の紡績工場に旅立つことを知ったのである。

言葉も無かった。
小学生の時から一緒に学校へ通い、確かに存在は薄かったが、それでも居て当たり前の存在だった彼女、その彼女が全く違う遠い世界へ行ってしまうようで、なにやら恐ろしくもあり、そして中学校では本当は幼馴染として、みんなからかばってやらなければいけなかったのに、みんなと同じように距離を置いてしまった自分の卑怯さ加減を思い知った気がした。

私は間もなく下りの汽車がホームに入ってきたが、それを1本やり過ごして、彼女を見送ることにした。
そして私達は無言のまま、上りの汽車を待ったが、やがてそうこうしている間に上りの汽車がやってくる。
この駅は無人駅だから降りてくる客は改札を素通りだが、この日は上りの汽車で降りてくる乗客は無く、私達は大きなバッグを持った彼女を先頭に、ホームまでゆっくり歩いた。

そして彼女は、両親の体に気をつけて暮らすようにとの言葉に、少しはにかんだような表情をすると、私の方にも顔を向けた。
「元気で、頑張ってな」
こんな場面で何の言葉も見つからない私は、月並みなことしか言えなかったが、それでも彼女は、やはりはにかんだように頷くと、汽車に乗り、やがてそのドアが閉まった。

彼女は電車が動いてもまだドアの近くで私や彼女の両親の方を見たままだった。
私は彼女をずっと見ていた。
好きとか嫌いとか、そんなつまらない感情ではない、言葉に出来ない思いがしたものだった、曇ったガラス越しに見える彼女は泣いていたようにも見えたが、それは私の思い違いだろう。
彼女に対する私の懺悔の思いがそう見せたに違いない・・・。

こうして春の天気の良い日はいろんなことを思い出す。
懐かしい人々、そして死んで行った人もそうだ。
彼女はたった3人しか見送る者がいない中、15歳で社会人となって行ったが、今頃元気で暮らしているものだろうか。
今年高校受験を迎える娘をバス停まで送って、その後姿を見ていると、なぜか白いコートを着てうつむいていたあの幼馴染の姿を思い出す。
そして「あー」と絶叫しそうな自分がそこにいる。

※ 本文は2011年に執筆されたものを再掲載しています。