「Alliance」

1960年1月、ワシントンに措いて調印された新日米安全保障条約は、この年の5月19日、岸内閣のもと衆議院で強行採決され、1ヶ月後の6月19日、参議院の自然承認で成立した。
日米安全保障条約、通称日米同盟はその発足時の思想に、太平洋終了後、武装解除され非武装となった日本をアメリカが代わって防衛することを本旨としている。
従ってこの初期の日米同盟はアメリカの日本占領軍が「駐留軍」に変化した程度のものであり、ここに対等の同盟関係は初めから成立していない。
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これに対して1960年の新安全保障条約は形の上、名目上は対等同盟となったように見えるが、やはりこの思想の根底にはアメリカの「してやっている」的思惑が色濃く残っている。
また一般に日本では、日米同盟と言えば軍事同盟のように思うかもしれないが、これは違う。
日米同盟の第2条項は「日米経済協力の促進」となっていることから、事実上この同盟は対等なものなら、現在のEUのような関係が2国間で結ばれたものと言う意味合いになり、対等でない場合はアメリカの植民地政策に近い意味合いを持つ。
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つまり日米同盟は経済的な友好関係と軍事を包括した総合条約であり、どちらか片方を切り離して考えることができない条約なのである。
だから日米間で経済的な摩擦が発生すると、必ず出てくるのが日本に駐留するアメリカ軍に対する経費負担の問題であり、沖縄などに展開しているアメリカ軍基地問題なのである。
この背景にあるものは、アメリカは日本の防衛に対してその能力を全く期待していない点にあり、現行の日本国憲法を鑑みても、事実上日本は自国の安全を自国で担保する能力が全く無いことを想定した上で、日本に駐留するアメリカ軍の配備を決定している。
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このことから日本の防衛は、アメリカがいるから保たれていると言う考え方がアメリカ国内においては一般的で、しかもこれは事実である。
膨大な経費を要する核兵器開発、宇宙空間に措ける監視システム、これらを日本のために使ってやっている、と言う考え方がアメリカには存在している。
それ故、日本が一国だけで経済的発展をしたり、さも独立国的発言をして偉そうなことを言うと、経済政策からアメリカ軍の作戦展開に要する経費にからんでまで、制裁的な発言が出てくるのである。
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だが日本人、及び日本政府はこうしたアメリカに逆らえない現状を持っている。
即ち日本の市場経済は未だにアメリカや、それと対等同盟関係にあるヨーロッパに依存し、その経済を支えるエネルギー確保は、やはり中東で多くの権益を持つ欧米ユダヤ資本の影響力の下でしか確保することができないのであり、これに関して不用意な行動を取ると、必ず待ち構えているのが経済的な暫定圧力である。
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トヨタ自動車のリコール問題は鳩山政権が沖縄基地問題で回答を示すことができない状況下で起こってきたことを思えば、このことが良く理解できるだろう。
また沖縄の基地問題に関係して、隣国韓国政府には日本と全く対照的な思惑がある。
即ち、日本に措いて日本が独自軍を増大させることには大きな脅威を感じるが、日本に措けるアメリカ軍の増兵はこれを歓迎している点にある。
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これは何故か、つまりは韓国もいろいろと問題を起こすアメリカ軍基地が自国内にあるのは好まないが、北朝鮮の存在を考えれば、やはりアメリカ軍の核の傘や軍事的な抑止力は必要であり、これが日本で増強されることは、距離的な観点からも大変歓迎すべき現象になる。
韓国にとっては日本に基地があるのも、自国に基地があるのも防衛上は同じ効力があり、しかもそれによって韓国国内のアメリカ軍が縮小できれば、まさに一石二鳥と言う現実がある。
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だがこうした韓国政府及び、韓国国民を非難する資格は日本には無い。
沖縄普天間基地移転に絡んで、海外にその基地の一部を移転しようと言う考え方は、こうした韓国政府と何等代わることの無い、消極的卑怯さを内在している。
即ち日本を防衛するための軍事作戦を、海外に置いていて何が抑止になるのかの問題であり、また本州が嫌で沖縄に存在させた基地を、今度は嫌だから膨大な補助金を付けて海外に移転しようと言う発想は、バブル経済期に日本が持っていた「金さえ払えば何でも良いのだろう」の思想と何等変わるものではなく、国際的にも日本防衛のための施設を、金を払って海外に受け入れさせる行為は決して評価されない。
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自国防衛に海外の国まで巻き込み、それで自国の問題の解決を計ろうとする、しかもその相手国は金が無いから、そのために日本のこうした姿勢を歓迎している。
これが海外の極貧国で少女を買い、それで好きなように弄ぶ行為とどこが違うのか、日本人はそうしたことも考えたほうが良い。
またそもそも鳩山総理が「抑止力」と言う言葉を使った時点で、沖縄のアメリカ軍基地海外移転には整合性が存在しない。
日本人はどれだけ苦しんでも、沖縄基地問題は自国で努力してアメリカと交渉し、少しずつでもそれを減らしていくことを考えなければ、おそらく平和の意味も、防衛の意味も分からないまま終わるだろう。
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そしてこうした日本とアメリカの関係がうまく行っていない状況下で、実は中国人民解放軍の潜水艦、船舶、攻撃機が日本の領海、領空を侵犯する事件が頻発してきている事実も存在する。
日米同盟が事実上機能停止状態にあるとき、ここでは幾ら日本人が口では勇ましいことを言っていても、何もできない現実を知る者とすれば、その期に乗じて資源確保に領土拡大をもくろむのは当然のことであり、ここで日本がかざす正義などは意味を持たない。
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国家の安全保障の方法は2つある。
1つは力による方法、そしてもう1つは外交と言う方法だ。
もし日本人が安全であり続けたいと願うなら、完全に核の傘に入ることを認め、そして軍事を増強するか、それで無ければアジア近隣諸国とそれぞれ2国間で領土確定を行い、相互不可侵条約、相互平和条約を結んで行く方法意外に道は無い。
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そして軍事にしても外交にしても、どちらも一度そろえればそれで未来永劫安全なものではなく、むしろそれから以降も事細かに注意を払い、その力か関係が継続されるような努力が必要であり、それには大きな代償、金だけではない、大衆も心の部分で大きな代償を払わなければ得られないものなのである。
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日本が今選択しなければならないことは、アメリカを選ぶのか中国を選ぶのか、そう言うことではない。
鳩山総理が約束を守った、守らなかった、そんなことはどうでも良いことだ。
大切なのは日本人一人一人がこれから先どう生きていくのか、アジアや世界とどう関って行くのか、そこを起点にして物事を考えないと、日本はどこかで大きく将来を誤るのではないか、そんな風に思うのである。
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本文は2010年5月1日yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。