芸術の世界に、民間の普通の工芸製品を新たな価値として認めさせ、この考えから芸術の世界に「民芸」と言う新分野を開いた陶芸の大家、「河合寛次郎」(かわい・かんじろう・1890年~1966年)はその芸術史観としてこのような話をしている。
即ち「いつの時代に有っても、常に歴史に残る芸術と言うものは、その時代の最先端のものでしか、これを為しえない」
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さすがは河合寛次郎、良く物の理をわきまえた言葉である。
そして1962年、イギリスはリバプールで彗星の如く現れた「ザ・ビートルズ」、当初このグループのメンバーであるジョン・レノンは、コンサート会場でこんなことを言って観客を驚かせていた。
「お金の無い人は手を叩いてください、そしてお金持ちの人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください・・・」
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とんでもない厭味だった。
だがこの時代ジョン達が闘っていたのは既成の概念、既存の価値観と言うものであり、そしてこうした既存する価値観を守ろうとする、「大人」と言うものに対して闘っていたのである。
無理もない話しだった、唯エレキギターを持っていると言うだけで不良の烙印を押され、長髪といかにも不道徳そうな生意気な態度、そしてこれらに影響されていく若い男女達、子供たちを考えたら、少なくともこの時代の親の世代にとってビートルズなどは許し難いものだったに違いない。
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また思想的に、資本主義のあり様に対抗しようとするかのようなジョン・レノンの言葉の数々と奇行は、新しい価値観の先駆とも言えるものだったが、そうしたことすら古い価値観の中では、「敵対」するものと言う考え方でしか、大人たちには捉えることが出来なかった。
だがこうしたビートルズの有り様に新しい時代を感じた若者達、彼らの強烈な思いはやがて自分たちの親の価値観をも少しずつ塗り替え、時代の女神は彼らに祝福のキスを送って行った。
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そして1980年代初頭、ニューヨークのクラブシーンに突然現れたマドンナ、彼女はその下着姿と言っても過言ではない姿で、肢体を揺らし、足を広げた卑猥なポーズで激しいポップロックを歌いまくっていた。
赤い唇と、胸や腰を覆う僅かな布でさえ邪魔だと言わんばかりに「女」を強調した衣装で、長いブロンドの髪を振り乱して歌い続ける彼女を見たアメリカの大人たちは、一様に眉をしかめた。
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マドンナは歌を売っているのではない、彼女が売っているのは「女」でしかない。
当時1984年、マドンナが歌う「ライクア・バージン」がヒットチャートを急上昇し始めると、同じ年代の女性シンガーでもまだ少しは上品さが有った「シンディ・ローパー」と比較した評論家達は、アメリカ社会の風潮に同調するように一斉にマドンナ批判を始める。
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しかし彼女はそんな声など聞こえもしないかの様に、次から次へとポップな楽曲を歌い続け、またその衣装やダンスも過激になりこそすれ、大人たちの批判など聞く耳すら持っていないかのような態度だった。
はしたない、女の子があんな格好で歌うなんて、あれでは娼婦よりも悪い、アメリカの品位を落とす、そんな言葉が彼女に向けられて行った。
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だがそんなマドンナを支持したのはやはり世界中の若者達だった。
確かに下着同然で腰を振って踊り歌うマドンナには、女と言う性を売っている面はあっただろう。
しかし世界中の若者達はそれだけを見ていたのではなかった。
そのマドンナの姿に、かつてビートルズがそうだったように、既存の価値観、誰かがどこかで守ろうとしている古い考え方を叩き壊そうとする、そんなエネルギーもまた感じていたはずである。
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女が女であることを強調して何が悪い、1977年、田舎からたった35ドルを握り締め、バスに乗ってニューヨークに降り立ったマドンナ、「私はきっと成功してやる」そう天を仰いだ少女は文字通り、その自分の全てをぶつけて古いアメリカに戦いを挑んでいたのである。
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そして時代は現代2010年、世界のダンスシーン、ポップロックシーンを一番賑やかな事にしているのは「レディ・ガガ」(本名ステファニー・ジョアン・アンジエリーナ・ジャーマノッタ)ではないだろうか。
彼女の2枚目のアルバム、「ザ・モンスター」からのシングルカット「バッド・ロマンス」は、世界中でヒットチャートナンバー1を記録し、そのアルバムのセールスは1700万枚以上、シングルのセールスに至っては3500万枚以上となっている。
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またここからが彼女の面白いところだが、彼女もやはりその歌っている姿は、マドンナよりも更に過激な下着姿なのであり、その上にこうした格好で、先日は試合に負けたアメリカ大リーグ、ヤンキースのロッカールームに入り込み、そこであられもない姿で選手をからかっていたのだが、これに激怒したのはヤンキース・オーナーサイドであり、この行為によってレディ・ガガはヤンキース・スタジアムへ入場禁止になり、また余りにもセクシーなプロモーションビデオは批難を浴び、そして今回2010年7月12日、ビートルズ、ジョン・レノンの白いピアノを、黒い下着に黒いストッキングと言ういでたちで弾いている姿がネット上に配信されたが、これに対してジョン・レノンファンが大激怒する。
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この画像をネットに載せたのはジョンの息子ショーンだったが、あのジョンの白いピアノを、チンピラ娘があんな格好で弾くなんて・・・、と言うのがおそらくジョン・レノンファンの心情だろう。
だがジョン・レノンのファンならレディ・ガガを怒ってはならない。
若さとはそうしたものであり、これがやはり創造と破壊と言うものだ。
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ジョン・レノンが、またマドンナがそうで有ったように、親や祖父母の世代の革新であったビートルズは、それが破壊されなければならないときが来ているのであり、1960年代、両親に咎められながらも家を抜け出して見に行ったビートルズは、もう守らなければならないと意識されるものになっているのである。
そしてこれを壊そうと、またそう大した意識も無くジョークで使うことこそ、今の若者が親や祖父母に対して起こしている「反抗」なのであり、いわばビートルズやマドンナと同じ流れの中にあるものだ。
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ビートルズを観に行こうとして止められ、涙を流して悔しがった記憶があるなら、彼らを温かく見守ってやるべきだ。
ジョン・レノンは、きっとレディ・ガガが下着姿で自分が妻に送った白いピアノを弾くのを喜んでいるはずだ。
あのジョン・レノンならそれが分るはずだ。
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レディ・ガガ、彼女は決してバカ娘ではない。
ハイチの地震には50万ドル以上の金を集め、HIVの認識を高める事業では、シンディ・ローパーと一緒に1億5000万ドル以上を集め、それを寄付している。
そして何より自身が最も影響を受けたと言う、マドンナのもう一方のライバルだったシンディー・ローパーと協力して、慈善事業をしていることを考えれば分るだろう。
彼女がやっていることは「破壊と創造」なのであり、この時代の最先端なのである。
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本文は2010年7月14日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。