「消費税の本質」・Ⅱ

1949年、シャウプは日本の税制を見て、「これは既に破綻を超えている」と発言し、そして消費税を整理、廃止していった。

だが今日の日本を見るとまた見事に消費税は復活し、そして「予算が無ければ仕方ない」とまで国民までが言い始めている。

太平洋戦争敗戦後、アメリカは日本の財政、税制の健全化の為に間接税を廃止していった事実を考えるなら、基本的に税収入に占める間接税、つまり消費税の割合が増加するたびに、その国家は貧しくなっているのであり、また衰退していると判断すべきかも知れない。

また消費税が「贅沢税」の概念を持つのは何も日本だけではない。

例えばヨーロッパ諸国の消費税は日本の消費税よりはるかに高いが、生活必需品や食料に対するか税率はきわめて低いか、かからないようになっているばかりでなく、リーマンショック時のヨーロッパ諸国の経済政策では、雇用などの条件を満たせば消費税の減税を認める対策が採られた。

こうした背景を考えるなら、ヨーロッパの消費税は少なくとも日本の消費税より健全性がある。

日本の消費税などの大型間接税は広くあらゆる場面から税収を得ようとするものであり、こうした傾向は、生活弱者の負担を増加させ、これでなおかつ企業減税が実施されるなら、国民から広く集めた金を、大企業に与えていくと言う極めて矛盾した不公平税制となっていく。

更にこれは太平洋戦争時の日本の税制にも見られた傾向だが、経済が破綻していくときには、実はあまりよく理解できない名前の税金が出現してくることだ。

これは税制ばかりではなく関連したものを含めてもそうだが、例えば後期高齢者保険制度などは徴収する側の市町村の担当者ですら、その計算方法を理解できているものがいないくらい分かりにくい制度だったし、政治が混乱した細川内閣の時には消費税を廃止し、「国民福祉税」なる税金創設を総理大臣が口走ったことがあった。

今の民主党でも道路特定財源を一般化した上で、「環境福祉税」や「環境税」の話が出てきているが、これなどは本当にお笑いであり、暫定税制だったガソリン税などを廃止することは見事だが、その同じ税率を環境福祉税で国民から徴収しようと言うのであれば、それは国民にとって名前が変わっただけで、実際何の恩恵も無いばかりか、環境に対して税金がかかるなら、税金が払えなければ生きていけなくなるのか、と言うことである。

環境に対して各国が一定の負担を考えると言う議論は、いまだ世界的な合議に至っていない。

このことから環境に対する負担を考える国では予算が出現するが、これに同意しない国では環境に対する負担が無く、これでは環境と言う地球規模の負担に対して、国によって相違が発生し、大きな不公平を生んでしまう。

それゆえ環境を消費するものと考え、そこに課税すると言う考え方は、現状では夢物語に対して税金を支払うと言う形であることを国民は理解しておくべきだろう。

それに「介護保険」を支払いながら、「健康保険税」を支払いながら、同じような名目で「福祉」と言う名前の税制が出現したときには、これは目的税の重複化と言う矛盾を生み、そもそも何となくそれらしいが、良く分からない名称の税金が多く発生した太平洋戦争時の日本と全く同じことにしかならず、こうした状態を是正しようと「シャウプ勧告」が成され、そこから日本は高度経済成長を果たしたのである。

国の借金920兆円以上、来年度予算の概算要求96兆円、そのうち税収は37兆円が限度となれば、例え圧縮したとしても50兆円以上の歳入不足に陥る日本の財政は、世界で最も危険な状態であると言え、また税制全体が既に客観的整合性を失っている。

その上に消費税の増税と言う「衰退国家」の政策が取られるなら、その先にあるものは「破綻国家」と言うものであり、日本は再度「シャウプ勧告」を、今度は世界から突きつけられる日を迎えることになるだろう。

さて今日のポイントだが、直接税、これは所得税などがそうだが、この比率と間接税、つまり消費税がそうだが、この2つの税が税収に占める割合をそれぞれの頭文字を取って「直間比率」と言い、財政の健全性を測る一つの目安とする場合があるが、この中で直接税で税収の殆どが賄われている国家は、その経済の健全性が確かめられ発展性があるが、これが間接税、特に消費税などによって一定の率より多く税金が賄われている国家は、いずれ国力を失い衰退する。

ちなみに税収における直接税の比率が高い国家はアメリカであり、消費税の比率が高い国家は基本的には社会主義化し、それはいずれかの時点で大きく転換を迫られるか、それで無ければその国家の国民はやがて希望を失ってしまう・・・。

※ 本文は2010年9月22日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。